1492年

1492年(1492 ねん)は、西暦ユリウス暦)による、閏年

千年紀: 2千年紀
世紀: 14世紀 - 15世紀 - 16世紀
十年紀: 1470年代 1480年代 1490年代 1500年代 1510年代
: 1489年 1490年 1491年 1492年 1493年 1494年 1495年

他の紀年法

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できごと

誕生

死去

脚注

注釈

出典

関連項目

10月12日

10月12日(じゅうがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から285日目(閏年では286日目)にあたり、年末まであと80日ある。

1490年代

1490年代(せんよんひゃくきゅうじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1490年から1499年までの10年間を指す十年紀。

15世紀

15世紀(じゅうごせいき)とは、西暦1401年から西暦1500年までの100年間を指す世紀。

3月30日

3月30日(さんがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から89日目(閏年では90日目)にあたり、年末まであと276日ある。

アレクサンデル (ポーランド王)

アレクサンデル(ポーランド語表記:Aleksander Jagiellończyk / リトアニア語表記:Aleksandras Jogailaitis, 1461年8月5日 - 1506年8月19日)は、リトアニア大公(アレクサンドラス、在位:1492年 - 1506年)、ポーランド王(在位:1501年 - 1506年)。カジミェシュ4世とローマ王アルブレヒト2世の娘エリーザベトの4男。ボヘミア王兼ハンガリー王ウラースロー2世、ヤン1世の弟、ジグムント1世の兄。

インノケンティウス8世 (ローマ教皇)

インノケンティウス8世(Innocentius VIII, 1432年 - 1492年7月25日)は、15世紀末のローマ教皇(在位:1484年 - 1492年)。本名はジョヴァンニ・バッティスタ・チーボ(Giovanni Battista Cybo (Cibo))。回勅によって魔女狩りと異端審問を活発化させた。同時に聖職売買、親族登用、派手な女性関係など、堕落した中世的な教皇の典型と見なされる。

カジミェシュ4世 (ポーランド王)

カジミェシュ4世(Kazimierz IV Jagiellończyk, 1427年11月30日 - 1492年6月7日)は、リトアニア大公(カジミェラス1世 / Kazimieras, 1440年 - 1492年)、ポーランド王(在位:1447年 - 1492年)。ヴワディスワフ2世の次男、母はその4番目の妃ゾフィア・ホルシャンスカ。ヴワディスワフ3世の弟。ボヘミア王兼ハンガリー王ウラースロー2世の父。

クリストファー・コロンブス

クリストファー・コロンブス(伊: Cristoforo Colombo、羅: Christophorus Columbus、西: Cristóbal Colón、葡: Cristóvão Colombo、英: Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。

スペイン帝国

スペイン帝国

Imperio español

国の標語: Plus Ultra(ラテン語: 更なる前進)

スペイン帝国(スペインていこく、西: Imperio español)は、スペインとその植民地・属領などの総称である。カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国がナスル朝グラナダ王国を滅ぼし、イベリア半島からイスラーム勢力を一掃した1492年以降、1898年の米西戦争に敗北して、ほぼ全ての海外植民地を失うまでの期間を指す。「帝国」の名称はその広大な統治領域に由来する。君主号(皇帝)とは無関係である。1868年から1874年は革命政権の支配の下で、国王は空位となり、やがて共和制に移行した。

とりわけ、16世紀中盤から17世紀前半までの約80年間はスペインが史上最も繁栄した時期であり、黄金世紀(Siglo de oro)と呼ばれている。スペイン君主のカルロス1世が神聖ローマ帝国皇帝に即位した際には、ヨーロッパにも本国以外の広大な領土を持つなど、その繁栄の様は「太陽の沈まない国」と形容された。

ネイティブ・アメリカン

ネイティブ・アメリカン(Native American ネイティヴ・アメリカン)とは、アメリカ合衆国の先住民族の総称である。1492年にヨーロッパ系白人が現在の北米地域に到達する以前に、現地に居住していた民族を総称していう。この集団のアイデンティティ形成には、地域文脈、居住地域における同胞民族の存在、ネイティブアメリカン特別保留地との距離等の要素が関連している。2013年現在、連邦政府が認める部族集団は566、州政府レベルではさらに70の集団が存在するといわれる。

ハイチ料理

ハイチ料理(ハイチりょうり、ハイチ語:kizin ayisyen)は、カリブ海にある国ハイチの料理である。

1492年コロンブスがイスパニョーラ島に到達して以来スペイン領だったハイチは、17世紀半ば頃からフランスによる植民が始まり、フランス人によって多くの黒人奴隷がアフリカから連れて来られた。これにより、ハイチの料理はフランスとアフリカの料理の影響を強く受けている。

ビーダル王国

ビーダル王国バリード・シャーヒー朝

ビーダル王国の支配領域

ビーダル王国(ビーダルおうこく、Bidar Sultanate)は、15世紀末から16世紀後半にかけて、インドのデカン地方中部に存在したイスラーム王朝(1528年(あるいは1489年/1492年) - 1619年)。バリード・シャーヒー朝(Barid Shahi Dynasty)とも呼ばれる。首都はビーダル。

ポーランド国王

ポーランド国王は、ポーランドの支配者によって用いられた称号である。最初の国王は1025年に戴冠したボレスワフ1世・勇敢王である(992年以来、称号は公であった)。

ピャスト家

1025年-1025年 – ボレスワフ1世

1025年-1031年 – ミェシュコ2世

1076年-1079年 – ボレスワフ2世

1295年-1296年 – プシェミスウ2世プシェミスル家

1300年-1305年 – ヴァツワフ2世

1305年-1306年 – ヴァツワフ3世クヤヴィ・ピャスト家

1320年-1333年 – ヴワディスワフ1世

1333年-1370年 – カジミェシュ3世アンジュー=シチリア家

1370年-1382年 – ルドヴィク1世

1384年-1399年 – ヤドヴィガヤギェウォ家

1386年-1434年 – ヴワディスワフ2世

1434年-1444年 – ヴワディスワフ3世

1447年-1492年 – カジミェシュ4世

1492年-1501年 – ヤン1世

1501年-1506年 – アレクサンデル

1506年-1548年 – ジグムント1世

1530年-1572年 – ジグムント2世選挙王制

1574年-1575年 – ヘンリク・ヴァレジィ

1575年-1596年 - アンナ

1576年-1586年 – ステファン・バートリ

1587年-1632年 – ジグムント3世 (ヴァーサ家)

1632年-1648年 – ヴワディスワフ4世 (ヴァーサ家)

1648年-1668年 – ヤン2世 (ヴァーサ家)

1669年-1673年 – ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ

1674年-1696年 – ヤン3世

1697年-1706年 – アウグスト2世 (ヴェッティン家アルブレヒト系)

1706年-1712年 – スタニスワフ・レシチニスキ

1709年-1733年 – アウグスト2世 (ヴェツティン家アルブレヒト系)

1733年-1736年 – スタニスワフ・レシチニスキ

1734年-1763年 – アウグスト3世 (ヴェッティン家アルブレヒト系)

1764年-1795年 – スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ1795年-1815年の間, ポーランド分割の後に国家は消滅し、称号は使われなくなった。ロマノフ家

1815年-1825年 - アレクサンドル1世

1825年-1831年 - ニコライ1世ポーランドの議会政治はロマノフ朝によって廃止された。1915年までロシアはポーランドを支配下においた。

1916年-1918年 - 摂政議会制1918年に摂政議会はユゼフ・ピウスツキにポーランドの支配権を委ねた。この瞬間ポーランドは共和国となった。

ヤン1世 (ポーランド王)

ヤン1世オルブラフト(ポーランド語表記:Jan I Olbracht(Albrecht) / リトアニア語表記:Jonas Albrechtas, 1459年12月27日 - 1501年6月17日)は、ポーランド王(在位:1492年 - 1501年)。カジミェシュ4世とローマ王アルブレヒト2世の娘エリーザベトの三男。ボヘミア王及びハンガリー王であるウラースロー2世(ヴラジスラフ・ヤゲロンスキー)の弟、ポーランド王兼リトアニア大公アレクサンデルおよびジグムント1世の兄である。

レコンキスタ

レコンキスタ(スペイン語: Reconquista)は、718年から1492年までに行われた、複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称である。ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わる。レコンキスタはスペイン語で「再征服」(re=再び、conquista=征服すること)を意味し、ポルトガル語では同綴で「ルコンキシュタ」という。日本語においては意訳で国土回復運動(こくどかいふくうんどう)や、直訳で再征服運動(さいせいふくうんどう)とされることもある。

ロレンツォ・デ・メディチ

ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de' Medici, 1449年1月1日 - 1492年4月8日)は、イタリア、フィレンツェのルネサンス期におけるメディチ家最盛時の当主。公的な肩書きはなかったが、当時のフィレンツェ共和国を実質的に統治した。ロレンツォ・イル・マニーフィコ(Lorenzo il Magnifico)とも呼ばれる。

孫であるロレンツォ2世・デ・メディチと区別するために大ロレンツォと表記されることもある。

優れた政治・外交能力を持っており、イタリア各国の利害を調整する立場として大きな影響力を振るい、信頼を得ていた。また、一般市民には気前良く振舞い、絶大な支持を得た。学問や芸術(ことに文学)のパトロンとしても知られ、彼のもとでルネサンス文化は最盛期を迎えた。

千葉輔胤

千葉 輔胤(ちば すけたね / 岩橋 輔胤、いわはし - )は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての武将。千葉氏の第21代当主。

庭田朝子

庭田 朝子(にわた あさこ、永享9年(1437年) - 延徳4年7月20日(1492年8月13日))は、後土御門天皇の典侍、贈皇太后。父は権大納言庭田長賢(政賢・重賢)。後柏原天皇・尊伝入道親王の生母。後花園天皇の生母敷政門院(庭田幸子)は大叔母にあたる。院号は蒼玉門院。

明応

明応(めいおう、旧字体: 明󠄁應)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府の将軍は足利義材(義稙)、足利義澄。なお、それ以前に応仁の乱で西軍に擁立された後南朝の西陣南帝が、当初は「明応」の年号を独自に制定していたことがある。

15世紀の十年紀と各年

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