1018年

1018年(1018 ねん)は、西暦ユリウス暦)による、平年

千年紀: 2千年紀
世紀: 10世紀 - 11世紀 - 12世紀
十年紀: 990年代 1000年代 1010年代 1020年代 1030年代
: 1015年 1016年 1017年 1018年 1019年 1020年 1021年

他の紀年法

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できごと

誕生

死去

脚注

注釈

出典

関連項目

1010年代

1010年代(せんじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1010年から1019年までの10年間を指す十年紀。

1609年

1609年(1609 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。

ウィクトル2世 (ローマ教皇)

ウィクトル2世(Victor II, 1018年 – 1057年7月28日)は、ローマ教皇(在位:1055年 - 1057年)。 ドイツ人で、後のグレゴリウス改革の基礎を築いた一人。

オーストリア君主一覧

オーストリア君主一覧(オーストリアくんしゅいちらん)は、オーストリアの君主の一覧。

カンナエの戦い

カンナエの戦い(カンナエのたたかい)は、紀元前216年8月2日、アプリア地方のカンナエ(カンネー)で起こったローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。第二次ポエニ戦争における会戦の一つで、ハンニバル率いるカルタゴ軍が、ローマの大軍を包囲殲滅した戦いとして戦史上名高い。2倍の敵を包囲・殲滅した衝撃的な勝利であった。カンネーの戦いとも表記する。

1018年10月1日にも同じ場所で戦闘が起こっており、これもカンナエの戦いと呼ばれる(英語版)。これは東ローマとノルマン人の間で行われた戦闘で、東ローマ側が勝利したものである。

クヌート1世 (イングランド王)

クヌート1世(英語:Canute / Cnut / Knut I、デンマーク語:Knud 2、995年 - 1035年11月12日)は、ノルマン系デーン人で、イングランド王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた王(イングランド王在位:1016年 - 1035年、デンマーク王在位:1018年 - 1035年、ノルウェー王在位:1028年〈1030年説あり〉 - 1035年)。デンマーク王としてはクヌーズ2世。カヌート、クヌットなどとも。大王(英語:the Great、デンマーク語:den Store)と称される。

スヴェン1世 (デンマーク王)

スヴェン1世ハラルドソン(丁: Svend "Tveskæg"、諾: Svein "Tjugeskjegg"、英: Sweyn "Forkbeard"、960年 - 1014年2月3日)は、“双叉髭王”(そうさひげおう)、“八字髭”(はちのじひげ)のあだ名をもつデーン人の王。デンマーク国王(在位:985年 - 1014年)、ノルウェー国王(在位:985年 - 995年、1000年 - 1014年)、イングランド国王(在位:1013年 - 1014年)を兼ねた。

タングステンの同位体

タングステン(W)の同位体のうち天然に存在するものは、5種類あり、半減期が極めて長いため、安定と見なされている。5種類は全て、ハフニウム(Hf)にアルファ崩壊する。180Wは1.8±0.2×1018年(Ea)の半減期を持つ。その他の天然同位体は未だ崩壊が観測されていないが、半減期は次のように考えられている。182W, T1/2 > 8.3 Ea; 184W, T1/2 > 29 Ea; 185W, T1/2 > 13 Ea; 186W, T1/2 > 27 Ea. 。平均して、1年間に1グラムのタングステン当たり2度のアルファ崩壊が起こるはずである。

27種類の人工放射性同位体が作られていて、そのうち最も長い181Wの半減期は121.2日である。185Wの半減期は75.1日、188Wの半減期は69.4日、178Wの半減期は21.6日である。その他は全て24時間以下であり、ほとんどは8分以下である。タングステンには4つの核異性体もあり、最も安定なものは179mW(半減期6.4分)である。

標準原子量は183.84(1) uである。

ハーデクヌーズ

ハーデクヌーズ(Hardeknud, 1018年/1019年 - 1042年6月8日)は、デンマーク(在位:1035年 - 1042年)およびイングランド(在位:1035年 - 1037年、1040年–1042年)の王。クヌート大王とノルマンディー公の娘エマの間のただ一人の息子である。

ハーラル2世 (デンマーク王)

ハーラル2世(デンマーク語: Harald 2.、989年頃 - 1018年)は、デンマークの王。スヴェン1世“双叉髭王”の息子でクヌーズ2世(クヌート大王)の兄。

パラメスヴァラヴァルマン

パラメーシュヴァラヴァルマン2世(サンスクリット語: परमेश्वरवर्मन् २, ラテン文字転写: Parameśvaravarman II, 生年不詳 - 1030年?)は、チャンパ王国(占城国)第8王朝の第4代国王(在位:1018年? - 1030年?)。漢文史料では尸嘿排摩惵(ベトナム語: Thi Nặc Bài Ma Diệp)と記される。

ブルガリア君主一覧

ブルガリア君主一覧

本項目では、ブルガリアの君主を掲げる。君主の称号は、はじめはハーン(汗)、キリスト教化したボリス1世のときから王(クニャス)、次いでシメオン1世のときから皇帝(はじめはギリシャ語の“バシレウス”、後にスラヴ語の“ツァール”)が用いられた。一般に「ブルガリア王国」と呼ばれる近代ブルガリアでも、独立後の君主の称号は皇帝(ツァール)であった。

年号は、在位年を示す。ただし、8世紀頃までのハーンたちの在位年はおよそである。

プラティーハーラ朝

プラティーハーラ朝

プラティーハーラ朝の版図(緑)。この王朝とともに、ラーシュトラクータ朝(オレンジ)、パーラ朝(紫)が鼎立していた。

プラティーハーラ朝(プラティーハーラちょう、英語:Pratihara dynasty)とは、8世紀後半から11世紀初頭まで、北西インドを支配したラージプートのヒンドゥー王朝(750年頃 - 1018年あるいは1036年)。首都はカナウジ。

ボレスワフ1世 (ポーランド王)

ボレスワフ1世(ポーランド語:Bolesław I ボレースワフ・ピェールフシ、966年/967年? - 1025年6月17日)は、ピャスト朝のポーランド公(在位:992年 - 1025年)、ポーランド国王(在位:1025年)、ボヘミア公(チェコ語名:ボレスラフ・フラブルィー、Boleslav Chrabrý, 在位:1003年 - 1004年)。ミェシュコ1世とボヘミア公ボレスラフ1世の娘ドゥブラフカ(マイセン辺境伯ギュンター未亡人)の子。

戊午

戊午(つちのえうま、ぼご)は、干支の一つ。

干支の組み合わせの55番目で、前は丁巳、次は己未である。陰陽五行では、十干の戊は陽の土、十二支の午は陽の火で、相生(火生土)である。

東チャールキヤ朝

東チャールキヤ朝

東チャールキヤ朝(ひがしチャールキヤちょう、英語:Eastern Chalukya dynasty)とは、7世紀から11世紀(あるいは13世紀)にかけて、インド南東部のアーンドラ地方に存在したヒンドゥー王朝(624年 - 973年、1000年 - 1070年、チョーラ朝はとして1279年まで)。首都はヴェーンギー(Vengi)。

第一次ブルガリア帝国

ブルガリア帝国

Црьство бл︢гарское

シメオン1世の治世における最大版図

第一次ブルガリア帝国(ブルガリア語:Първа българска държава;英語:First Bulgarian Empire)は、7世紀より11世紀前半まで続いた東ヨーロッパのブルガリアに栄えた帝国。10世紀前半におけるシメオン1世の治世に全盛期を迎えたが、東ローマ帝国によって滅ぼされた。

藤原威子

藤原 威子(ふじわら の いし/たけこ、長保元年12月23日(1000年2月1日) - 長元9年9月6日(1036年9月28日))は、平安時代中期の女性。摂政藤原道長の娘。母は源倫子。第68代後一条天皇中宮。別名大中宮。子女は章子内親王(後冷泉天皇中宮)、馨子内親王(後三条天皇中宮)。同母の兄弟に頼通・教通、上東門院彰子・妍子・嬉子。

靖宗

靖宗(せいそう、1018年8月31日 - 1046年6月24日)は第10代高麗王(在位:1034年 - 1046年)。姓は王、諱は亨、諡号は弘孝安懿康献英烈文敬容恵大王。顕宗と元成太后金氏の二番目の息子であり、徳宗の弟。

11世紀の十年紀と各年

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