非参議

非参議(ひさんぎ)とは、以下のことを意味する。

  1. 従三位公卿)以上でまだ参議任官していない人のこと(非参議といえば通常はこの場合を指すことが多い)。
  2. 四位で一度参議を務めて退官した人のこと。この場合、前参議と呼ばれることもある。
  3. 四位で参議になる資格を有する人のこと(つまり参議候補生である)。

四位で参議になる資格を有する人を例えると、

がその典型例として挙げられる。

脚注

  1. ^ 同じ太政官の判官でも右中弁は違うことに注意。

 関連項目 

三条公親

三条 公親(さんじょう きんちか)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。右大臣・三条実親の子。官位は正二位・内大臣。後三条入道内府または白川前内府と号す。

二条師忠

二条 師忠(にじょう もろただ)は、鎌倉時代中期の公卿。関白・二条良実の三男。官位は従一位・関白、左大臣。二条家2代当主。号は香園院関白。

二条良実

二条 良実(にじょう よしざね)は、鎌倉時代中期の公卿。通称は福光園関白(ふっこうえん かんぱく)。極位極官は従一位関白左大臣。

摂政関白左大臣九条道家の次男、母は太政大臣西園寺公経の女。兄に摂政関白左大臣九条教実、弟に四代鎌倉将軍藤原頼経、摂政関白左大臣一条実経、子に左大臣二条道良、権大納言二条教良、関白左大臣二条師忠、非参議二条経通、摂政左大臣二条兼基がいる。

五辻家

五辻家(いつつじけ)は、半家の家格を持つ公家(堂上家)。家系は宇多源氏庭田同祖。源時方(ときまさ)を祖とし、鎌倉時代初期の五辻仲兼以降に五辻家を称する。極官は従二位、非参議。家業は神楽。旧家。江戸時代の家禄は200石。居所は西殿町北側。菩提寺は洛東西方寺。

家祖の時方は左大臣・源雅信の子だが、五位少将まで昇進するも若くして卒去。その後、子孫は受領となり代々五位止まりであった。

鎌倉時代初期の仲兼は四ヶ国の国司を務め従四位上まで昇進し、この頃より五辻の家号を称するようになった。

仲兼以降は蔵人や北面武士を務める地下家だったが、室町時代末期の天文7年(1538年)に五辻諸仲が従三位に叙せられて、堂上家に加わる。

明治維新後、安仲が子爵に叙せられた。

支流に、明治維新後興福寺明王院住職から還俗した文仲が興した奈良華族の西五辻家、仲兼の孫・仲清を祖とする慈光寺家及び、その庶流の中川家(二条家諸大夫)・三木家(伏見宮家諸大夫)、時方の玄孫にあたる仲親の子・仲康を祖とする春日家(久我家諸大夫)がある。

公卿

公卿(くぎょう)は、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を指す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった

公卿補任

公卿補任(くぎょうぶにん)は、歴代朝廷の高官の名を列挙した職員録で、日本史の基本史料の1つ。

勘解由小路在富

勘解由小路 在富(かでのこうじ/かげゆこうじ あきとみ/ありとみ)は、戦国時代の公卿・陰陽師。従三位非参議・勘解由小路在重の子。官位は正二位・非参議。賀茂朝臣氏勘解由小路家の事実上の最後の当主。

勘解由小路家

勘解由小路家(かでのこうじ / かげゆのこうじ け)は、日本の氏族の一つ。今日日本の戸籍に記載される姓では最長のものである。

漢字5文字からなるこの苗字(家名)は、埼玉県に存在する左衛門三郎家と並び、日本では最長である。由来は平安京の勘解由小路である。現在確認されているのは山口県に1軒のみ(藤原北家日野烏丸流、元子爵家)。

主なものでは、藤原氏系と賀茂氏系の2流があり、両者は全く別系統である。

なお、南北朝が合体した明徳の頃から永正の頃までの約100年間に文献に現れる「勘解由小路左衛門督入道」(斯波義将)や「勘解由小路武衛」(斯波義重・斯波義淳ら)などと呼称されるのは、勘解由小路に本邸(武衛陣)を置いた斯波氏の当主である。この場合、ほぼ「勘解由小路武衛」もしくは「勘解由小路◯◯入道」などと呼ばれ、逆に「勘解由小路卿」や「勘解由小路◯位」と単独で呼ばれることはほとんど無い。

半家 (公家)

半家(はんけ)とは、鎌倉時代以降に成立した公卿の家格で堂上家の中でも最下位の貴族である。源平藤橘も含めて、特殊な技術を以って朝廷に仕えた。

堂上家

堂上家(とうしょうけ、どうじょうけ)は、公家の家格の一つ。御所の清涼殿南廂にある殿上間に昇殿する資格を世襲した家柄。また、公卿になれる家柄。同時に上級貴族とも呼ばれる。

中級貴族である地下の官人を除く公家を指す。江戸時代末期には137家があった。

大炊御門信子

大炊御門 信子(おおいのみかど のぶこ、応永18年(1411年) - 長享2年4月28日(1488年6月8日))は、後花園天皇の下臈。女院号は嘉楽門院(からくもんいん)。右馬助藤原孝長女で大炊御門信宗の猶子。子に後土御門天皇・観心女王。

初め、非参議和気郷成の猶子となり、郷子と呼ばれる。その後、和気保家(郷成の子)の猶子となる。後花園天皇の寵愛を受けて宮中に召され、大炊御門信宗の猶子となって宮中に上がり「伊与」と号した。嘉吉2年(1441年)に儲君成仁親王(後土御門天皇)を生んだことから、准后とされ居住していた正親町東洞院殿より「東洞院殿」と呼ばれた。後土御門天皇即位後、女院とする話がたびたび上がるが実父の身分の低さが障害となり実現しなかった。文明13年(1481年)に重篤に陥ったことから急遽、7月26日になって嘉楽門院の称号が授けられたが、程なく快方に向かった。ただし、その後も『御湯殿上日記』などには「東洞院殿」という称号は登場しても「女院」の敬称はほとんど用いられていない。78歳で没した。

なお、実父の右馬助藤原孝長を『尊卑分脈』でたどると以下の通り。

藤原冬嗣―藤原長良―藤原清経―藤原元名―藤原文範―藤原為雅―藤原中清―藤原範永―藤原良綱―藤原孝清―藤原孝博―藤原孝定―藤原孝道―藤原孝時―藤原孝頼―藤原孝秀―藤原孝重―藤原孝守―藤原孝継―藤原孝長―信子(後花園天皇下臈)―後土御門天皇

富小路家

富小路家(とみのこうじけ)は、藤原北家流の堂上家。元来は九条家の諸大夫だった富小路俊通が二条家の庶流を称する形で従三位に昇ったことから始まる。富小路俊通の子富小路資直が従三位となり昇殿を許可されて以後、堂上家の一員となる。家格は半家。

従二位非参議を極位極官とした。

江戸時代の家禄は200石。明治維新後は敬直が子爵に叙せられた。

岡崎家

岡崎家(おかざきけ)は、藤原北家高藤(勧修寺)流中御門家庶流の堂上家、家格は名家。

権大納言・中御門尚良の次男である宣持が「岡崎」を称したのにはじまる。

初代・内匠頭(非参議・従三位)・岡崎宣持以降、江戸時代の石高は、蔵米30石であったが、明治に至り華族に列し国良が子爵に叙せられた。

菩提所は宝憧寺、居所は梨木町西側南角とした。

廷臣八十八卿列参事件

廷臣八十八卿列参事件(ていしんはちじゅうはちきょう れっさんじけん)は、1858年(安政5年)に日米修好通商条約締結の勅許打診を巡って発生した、公家による抗議行動事件である。

慈光寺家

慈光寺家(じこうじけ)は宇多源氏の流れを汲む堂上家。左衛門尉・五辻遠兼の次男慈光寺仲清を祖とする。

家格は半家。中務権大輔・慈光寺冬仲の代で堂上家に列せられ、慈光寺澄仲(1713年 - 1795年)が従二位・左馬権頭に叙せられて以降、従二位・非参議が極官となる。

江戸時代の家禄は30石。明治維新後は有仲が子爵に叙せられた。

萩原家

萩原家(はぎわらけ)は、卜部朝臣を本姓とする堂上家。江戸時代前期の吉田兼治の長男で、祖父兼見の養子となった萩原兼従を祖とする。

家格は半家。正二位非参議を極位極官とする。家職は神道。江戸時代の家禄は1000石。半家でありながら家禄が摂家並なのは、萩原家がそもそも豊国神社の社務を世襲する社家として創設された家で、社家としての役料が大坂の陣後に豊国神社が破却された後もそのまま認められたためである。

分家に錦織家。明治になって華族に列し、9代員光が子爵に叙せられた。

藤井家

藤井家(ふじいけ)は、卜部姓吉田家の流れを汲む堂上家。代々平野社預かりを兼ねた家で、神祇大副・卜部兼忠の次男卜部兼国を祖とする。

家格は半家。従二位 非参議を極位極官とする。

江戸時代の家禄は30石。明治維新後は行道が子爵に叙せられた。

近衛府

近衛府(このえふ、こんえふ)は令外官のひとつ。和訓は「おおきちかきまもり」「ちかきまもりのつかさ」。唐名は「羽林」。兵仗を帯して禁中を警護し、また朝儀に列して威容を整え、行幸の際には前後を警備することを職掌とした。平安中期以降朝政の儀礼化に伴い幹部は名誉職化、兵士は儀仗兵化した。六衛府(左右の近衛府・衛門府・兵衛府)の中では最も地位が高かった。

天平宝字3年(759年)に設置された授刀衛を天平神護元年(765年)2月3日に近衛府と改称し、さらにこれと神亀5年(728年)設置の中衛府とを大同2年(807年)4月22日に改組し、近衛府を左近衛府、中衛府を右近衛府とした。前者は大内裏の陽明門の北、後者は殷富門の北に置かれた。

錦織家

錦織家(にしごりけ)は、卜部氏の流れを汲む堂上家。正三位萩原員従(1645年 – 1710年)の次男従二位弾正大弼錦織従久(1697年 – 1755年)を祖とする。

家格は半家。正三位非参議を極位極官とする。6代久隆(1820年 – 1882年)は廷臣八十八卿列参事件に関わった公家の一人。

江戸時代の家禄は30石。明治維新後は7代教久が子爵に叙せられた。

他言語版

This page is based on a Wikipedia article written by authors (here).
Text is available under the CC BY-SA 3.0 license; additional terms may apply.
Images, videos and audio are available under their respective licenses.