王の道 (パレスチナ)

王の道(おうのみち)はヨルダン川の谷と死海の東を南北に走り、エジプトとメソポタミアを結ぶ幹線道路で、アカバ湾岸のエラテからディボン、ヘシュボン、ラバテ・アンモンラモテ・ギルアデアシュタロテなどの町をへてダマスコに至る道。旧約聖書にも登場する。

王の道の周辺には、青銅器時代からすでに住居や要塞が発見されているので、この道路は前23世紀から20世紀の間には使用されていたと考えられる。

創世記14章でケドルラオメルと彼にくみした5人の王と戦った時に、王の道を通ってきたと考えられる。モーセを指導者としてエジプトを出たイスラエル民族は、エドムの王とエモリ人の王シホンに彼らの領土を通ることを申請して拒絶された。この時、イスラエル民族はシホンと戦い、その地を占領した。

ソロモン王の治世においては、アカバ湾岸のエツヨン・ゲベルエラテ)とユダアラムシリヤ)を結ぶ重要な交易道路であった。

Ancient Levant routes
赤い線が「王の道」、地中海岸を通る紫の線は「海の道」

参考文献

モアブ

モアブ(モアブ語:𐤌𐤀𐤁)は、古代イスラエルの東に隣接した地域の古代の地名であり、死海の東岸、アルノン川(現ヨルダン・ハシミテ王国のワディ・アル・ムジブ)以南からゼレド川以北(現ヨルダンのワディ・アル・ハサ)の高原地帯に広がる地域を指す。この地域は、現在のヨルダン・ハシミテ王国のカラク高原地域(カラク県)にほぼ等しい。

なおモアブと呼ばれた地域は、中世イスラム期にはマアブ(Maāb)と呼ばれていたことが、9世紀のアラブ人地理学者ヤアクービーの記述から分かる。

旧約聖書によれば、ロトとロトの長女との間に生まれた息子モアブ(מואב ヘブライ語で「父によって」の意)に由来し、その子孫がモアブ人となってエミム人を打ち払ってその地域に定住したとされている。

王の道

王の道(おうのみち、英語: Persian Royal Road)は、アケメネス朝ペルシア帝国の大王ダレイオス1世によって、紀元前5世紀に建造された古代の公道である。宿駅が設けられ、守備隊が置かれていた。ダレイオスは、王都スーサからサルディスに至る、非常に広大な帝国の版図を通じて、迅速な交通と通信を容易にするためこの幹線道路を建設した。

スーサから帝国遠隔の地のサルディスまでの 2,699キロメートル(1,677マイル)を7日間で旅することができた。古代ギリシアの歴史家であるヘロドトスは、「この公道を利用したペルシアの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記した。ヘロドトスは、「雨、雪、暑熱、夜の暗さであろうと、託された任務を伝達使が最高の速度で達成することを妨げることはできない」としてペルシアの使者を称賛した。この言葉は、今日、郵便配送者の非公式なモットーとして使用されている。

王道

王道(おうどう)

王道 - 儒教における理念で、仁徳による統治を意味する。武力や策略による統治である覇道に対比。孟子#王覇を参照。

転じて平成では「正攻法」「定番」「定石」の意味で用いられるようになっている。俗用であるがかなり普及している。

創作物のストーリー展開における王道はCategory:ストーリー類型を参照。

「学問に王道なし」 - 古代ギリシアのユークリッドが幾何学について王に言った言葉で習得に都合のいい道はないことを表す。前述の「正攻法」という意味での転用が用いられる以前は、学習についてこちらが常識であった。

他言語版

This page is based on a Wikipedia article written by authors (here).
Text is available under the CC BY-SA 3.0 license; additional terms may apply.
Images, videos and audio are available under their respective licenses.