歴代誌

歴代誌』(れきだいし, ヘブライ語: דברי הימים‎ Dibhrēy hayYāmīm ディブレー・ハイ=ヤーミーム、: Books of Chronicles)は旧約聖書におさめられたユダヤの歴史書。歴代誌という書名は聖書の日本語訳者によって様々に表記され、歴代志[1]歴代史[2]歴代の書[3]歴代誌略[4]などとも表記される。2巻に分かれており、ダビデの死までが書かれた巻は上や第一、第一巻などと呼ばれ、バビロン捕囚までが書かれた巻は下や第二、第二巻などと呼ばれる。『サムエル記』『列王記』と内容が重複している。ユダヤ教では「預言書」でなく「諸書」の1つになっている[5]

キリスト教では歴史書として『列王記』と同列に扱われ、その後におさめられている。『歴代誌』(ラテン語:Chronica)という題名はヒエロニムスが初めて使用したものである。ギリシア語聖書では『パレレイポメナ』(省略されたもの)というタイトルがついていて、『列王記』などの歴史書の補足という意味合いをもたされている。

この書物の原作者は、伝統的にエズラであると伝えられている。文体や記述法が似通っているため、批評学的には『エズラ記』『ネヘミヤ記』と同じ著者グループによってかかれたものではないかと考えられている。

内容

内容としては『サムエル記』、『列王記』をもとにしながらも、独自の資料も用いてイスラエルの歴史を再構成している。特徴としては神殿についての記述や職制の人名リストが多いこと、北イスラエル王国の歴史を完全に無視していることなどがあげられる。

  • イスラエルの諸部族の系図(上1章~9章)
    • 1章 アダムからアブラハムにいたる系図、エドムの王
    • 2章 ヤコブの子らの子孫
    • 3章 ダビデの子孫
    • 4章 ユダの子孫
    • 5章 ルベンとガド、マナセとレビの子孫
    • 6章 レビの一族と居住地
    • 7章 イサカル、ベニヤミン、ナフタリ、マナセ、エフライム、アシェルの子孫
    • 8章 ベニヤミンの子孫
    • 9章 バビロン捕囚後のエルサレムに住んだ人々
  • ダビデの治世(上10章~29章)
    • 10章 サウルの死
    • 11章 ダビデ王の即位
    • 12章 ダビデの家臣たち
    • 13章 ダビデと神の箱
    • 14章 ダビデ王の勢力
    • 15章 神の箱の移動
    • 16章 神の箱の前での儀式
    • 17章 ナタンの予言とダビデの祈り
    • 18章 ダビデの戦果
    • 19章・20章 アンモン人、アラム人とのたたかい
    • 21章 ダビデの人口調査
    • 22章 神殿造営
    • 23章 レビ人のつとめ
    • 24章 祭司の組織
    • 25章 詠唱者のリスト
    • 26章 門衛のリスト
    • 27章 軍隊の組織、財産の管理者
    • 28章 ダビデの神殿建築
    • 29章 ダビデの祈りとソロモン王の即位
  • ソロモン王の治世(下1章~9章)
    • 1章 ソロモンの知恵
    • 2章~7章 神殿の建築
    • 8章 ソロモンの事業
    • 9章 シェバの女王とソロモンの富
  • 王国の分裂(下10章)
  • 捕囚にいたる南ユダ王国の歴史(下11章~36章)
    • 11章 ユダの王レハブアム
    • 12章 エジプト王の攻撃
    • 13章 ユダの王アビヤ
    • 14章~16章 ユダの王アサ
    • 17章 ユダの王ヨシャファト
    • 18章 預言者ミカヤとアハブ王
    • 19章~20章 ヨシャファトの事跡
    • 21章 ユダの王ヨラム
    • 22章~23章 ユダの王アハズヤと母アタルヤ、祭司ヨヤダ
    • 24章 ユダの王ヨアシュ
    • 25章 ユダの王アマツヤ
    • 26章 ユダの王ウジヤ
    • 27章 ユダの王ヨタム
    • 28章 ユダの王アハズ
    • 29章 ユダの王ヒゼキヤ
    • 30章 過越祭
    • 31章 ヒゼキヤ王の改革
    • 32章 センナケリブの攻撃
    • 33章 ユダの王マナセ
    • 34章~35章 ユダの王ヨシヤ
    • 36章 ユダの王ヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキン、ゼデキヤとバビロン捕囚

脚注

  1. ^ デイリー・スタディー・バイブル ISBN 978-4400104353、口語訳旧約聖書(ウィキソース)など
  2. ^ フランシスコ会訳聖書 ISBN 4-8056-9414-9
  3. ^ バルバロ訳聖書 ISBN 4061426060
  4. ^ ハリストス正教会訳 日本正教会
  5. ^ ユダヤ教聖書(ヤブネ会議で決定)の配列と分類では「トーラー」「預言書」「諸書」という三つに分類される。

関連項目

アウラングゼーブ

アウラングゼーブ(ペルシア語: اورنگزیب‎, Aurangzēb, 1618年11月3日 - 1707年3月3日)は、北インド、ムガル帝国の第6代君主(在位:1658年 - 1707年)。アーラムギール(Ālamgīr)またはアーラムギール1世(Ālamgīr I)とも称される。第5代君主シャー・ジャハーンの三男。母はムムターズ・マハル。

アウラングゼーブは若いころ、デカン地方の総督(スーバダール)として派遣され、自身の名を冠した都市アウランガーバードを拠点に、ビジャープル王国やゴールコンダ王国に対して軍事活動を展開した。その過程でミール・ジュムラーといった優れた武将を味方に付けた。

1657年、父シャー・ジャハーンが重病に陥ると、兄ダーラー・シコー、シャー・シュジャー、弟のムラード・バフシュと皇位継承戦争で争い、1658年に帝位を継承した。その後、兄弟3人を直接的・間接的に殺害し、父帝はアーグラ城へと幽閉した。

アウラングゼーブの治世は実に49年の長きに渡り、その治世の前半は、曾祖父アクバル以来の繁栄が続いた。アウラングゼーブは若年から厳格なスンナ派の信者であり、ムガル帝国の宗教政策を変えて帝国をシャリーアで統治しようとしたが、その反面ではアクバル以来の融和路線に反する厳しい宗教政策によって、ラージプートなど異教徒の離反を招いた。特にデカン地方にヒンドゥーの復興を掲げたマラーターの指導者シヴァージーの抵抗には苦慮し、長く辛酸を舐めることとなった。

1681年以降、アウラングゼーブはデカンに大挙南下し、ビジャープル王国、ゴールコンダ王国を滅ぼし、さらにはマラーター王国を南に押し返した。だが、マラーターのゲリラ戦や重税に苦しむ諸地方の反乱、帝室における混乱といった様々な問題に悩まされ、その晩年は悲惨なものとなった。

1707年にアウラングゼーブは死亡し、その死までに帝国の領土は最大となったが、

彼の死を契機に帝国は衰退・崩壊した。

アクバル

アクバル(ペルシア語: جلالالدین محمد اكبر‎, Jalāl'ud-Dīn Muhammad Akbar, 1542年10月15日 - 1605年10月27日)は、北インド、ムガル帝国の第3代君主(在位:1556年 - 1605年)。アクバル1世(Akbar I)、アクバル大帝(اکبر کبیر , Akbar-e kabīr)とも呼ばれる。

アラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしく、中央アジアからの流入者であった祖父バーブルの立てたムガル朝を真に帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展させた。そのため、マウリヤ朝のアショーカ王に並び称されることもあり、大帝の称号を与えられている。

アクバルは、先述のアショーカ王やスール朝のシェール・シャーとともに最も成功した君主であり、インドの最も偉大な王であり融和の象徴として、現在のインドでも人気が高い。

エズラ記

『エズラ記』(えずらき、ヘブライ語: עזרא‎ ezrā エズラー、英: Book of Ezra)はヘブライ聖書中の一書で古代ユダの歴史を記す。

ユダヤ教聖書配列では「諸書」の1つとして扱われ、キリスト教では歴史書として『歴代誌』のあとにおかれる。

もともと『エズラ記』と『ネヘミヤ記』は1つの書物であり、『歴代誌』の続編として書かれたようである。『エズラ記』1章は、『歴代誌』下巻36章と内容が全く重複している。そのため批評学者によって『歴代誌』と『エズラ記』『ネヘミヤ記』は「歴代誌史家」とよばれる同じ著者グループの作品であると考えられている。しかしその文体などから、『エズラ記』は独立した著者によるものと考える研究者もいる。

題名は、捕囚からの解放後、エルサレムに派遣された律法の書記官(ヘブル語:ソーフェール)で、律法によってユダヤ民族をまとめなおそうとした人物エズラに由来している。

サイイド朝

サイイド朝

سیدSayyid

ムハンマド・シャーの墓(現ニューデリー)

サイイド朝(サイイドちょう、ペルシア語: سلسله سید‎、Sayyid dynasty)とは、北インドの一部を4代37年にわたって支配した、デリー・スルターン朝の4番目のトルコ系イスラーム王朝(1414年 - 1451年)。首都はデリー。名称は、建国者のヒズル・ハーンが「サイイド」、すなわちムハンマドの子孫であると称したことに由来する。

シャー・アーラム2世

シャー・アーラム2世(ヒンディー語:शाह आलम द्वितीय, ウルドゥー語: شاہ عالم ثانی‎, Shah Alam II, 1728年6月25日 - 1806年11月19日)は、北インド、ムガル帝国の第15代君主(在位:1759年 - 1806年)。単にシャー・アーラム(Shah Alam)とも呼ばれる。父は第14代君主アーラムギール2世、母はズィーナト・マハル。

1759年11月29日、父であり皇帝であったアーラムギール2世は、宰相ガーズィー・ウッディーン・ハーンに殺害され、これにより帝位を継承した。

1761年からはアワド太守シュジャー・ウッダウラと手を結んだが、1765年にブクサールの戦いでイギリスに大敗北を喫した。その後、1771年にマラーターのシンディア家当主マハーダージー・シンディアと手を結び、1772年にデリーへと戻った。

1772年から10年にわたり、武将ミールザー・ナジャフ・ハーンが活躍したが、その死後、1788年にはその軍事活動の報復でシャー・アーラム2世はグラーム・カーディル・ハーンに盲目にされた。その後、再びマハーダージー・シンディアの保護に入った。

1803年、第二次マラーター戦争により帝都デリーが占領されたのち、1806年11月19日に死亡した。

シャー・ジャハーン

シャー・ジャハーン(ペルシア語: شهابالدین محمد شاه جهان‎ Shehābo'd-Dīn Moḥammad Shāh Jahān, 1592年1月5日 - 1666年1月22日)は、ムガル帝国の第5代君主(在位:1628年 - 1658年)。第4代君主ジャハーンギールの三男。母はビルキース・マカーニー・ベーグム。

1612年、ペルシア系の大貴族アーサフ・ハーンの娘ムムターズ・マハルと結婚した。晩年の父とは対立し、デカンに退いていた。

1628年はじめにアーグラで即位したシャー・ジャハーンは、内政面ではムガル帝国の最安定期を演出した。外部では1636年にアフマドナガルにあったデカン・スルターン朝のひとつアフマドナガル王国を打倒・併合し、デカン地方で領土を拡大した。だが、アフガニスタンではサファヴィー朝と衝突してムガル・サファヴィー戦争を起こしたが、カンダハールを獲得することができなかった。

シャー・ジャハーンの時代はインド・イスラーム文化の最盛期であり、美術や建築などの華が咲いた。シャー・ジャハーンはまた、妃ムムターズ・マハルの墓廟であるタージ・マハルの建造者としても有名な人物である。当時、ヨーロッパから訪れた旅行者はシャー・ジャハーンを「壮麗王」(the Magnificent)として称えた。

ムムターズ・マハルの死後、シャー・ジャハーンは側室を増やし、多数の家臣の妻と関係を持つようになった。シャー・ジャハーンは、20年以上にわたりこのような生活を続けたため、1657年に重病となった。そして、その病状に回復の見込みがないとわかると、その4人の息子の間が帝位をめぐり激しく争うこととなった。

シャー・ジャハーンは長男ダーラー・シコーを後継者としていたが、次男のベンガル太守シャー・シュジャー、三男のデカン太守アウラングゼーブ、四男のグジャラート太守ムラード・バフシュはこれを認めていなかった。結局、1658年に勝利したアウラングゼーブが皇位を継承し、シャー・ジャハーンはアーグラ城塞に幽閉され、亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら、1666年に74歳で死去した。

ジャウンプル・スルターン朝

ジャウンプル・スルターン朝

ジャウンプル・スルターン朝(ジャウンプル・スルターンちょう)は、北インドのアワド地方を支配したイスラーム王朝(1394年 - 1479年)。ジャウンプル王国、シャルキー朝とも呼ばれる。

スール朝

スールー朝

د سوریانو ټولواکمني

スール朝の最大版図

宗教:イスラーム教スンナ派

スール朝とは、1539年から1555年の間にかけて、北インドを支配したインドの王朝である。王朝を創始したのは、ビハール南部を根拠地においていたシェール・ハーン・スーリー(即位後シェール・シャー)である。デリー・スルターン朝のひとつに数える研究者もいる。

デリー・スルターン朝

デリー・スルターン朝(デリー・スルターンちょう、Delhi Sultanate)は、13世紀初頭から16世紀初め(1206年 - 1526年)までの約320年間デリーを中心に主として北インドを支配した5つのイスラーム王朝の総称。名称に関しては、デリー・スルタン朝、デリー諸王朝、デリー・サルタナットなど様々ある。

トゥグルク朝

トゥグルク朝

تغلق شاهیانTughluq Shahian

トゥグルク朝の版図

トゥグルク朝(トゥグルクちょう、Tughluq dynasty)またはトゥグルク・シャーヒー朝(ペルシア語: تغلق شاهیان‎ 転写: Tuġlaq šahian、英語: Tughluq Shahian)は、デリー・スルターン朝の3番目の王朝であるトルコ系のイスラーム王朝(1320年 - 1413年または1414年)。首都はデリー(一時的にダウラターバード)。北インド、デカン、南インドを支配した。トゥグルグ朝はインドにおけるイスラーム王朝の統治を固めるために様々な政策を実施した(官僚機構の整備、経済政策、司法行政、遷都など)。

ネヘミヤ記

『ネヘミヤ記』は旧約聖書中の一書で古代ユダヤの歴史を記す。キリスト教では歴史書として『エズラ記』のあとにおかれ、ユダヤ教では「諸書」の1つとして扱われる。

もともと『エズラ記』と『ネヘミヤ記』は1つの書物であると言われるが、それはその物語の内容の連続性や、同一の登場人物が登場しているためである。また、70人訳聖書の『エスドラ書』ともその内容が重複している。そのため『歴代誌』と『エズラ記』『ネヘミヤ記』は「歴代誌史家」とよばれる同じ著者グループの作品であるというのが定説である。しかし、必ずしもすべての研究者がそのことを認めているわけではなく、特に1人称(「私は…」)で記された箇所の背景にはエズラ、及びネヘミヤの回顧録が保存されていると考えられる。それぞれが別の著者によるものという理解が排除されているわけではない。

題名は、捕囚からの解放後、エルサレムに派遣されたペルシャの総督(もしくは宦官)で、エルサレムの城壁を再建し、民族の復興に尽力したとされる人物ネヘミヤに由来している。

ハルジー朝

ハルジー朝

سلسله خلجیSulṭanat Khalji

ハルジー朝(ハルジーちょう、Khalji dynasty)またはハルジー・スルターン朝(سلسله خلجی 転写: sulṭanat ḫalji、英語: Khalji Sultanate)は、インド北部(デカン、南インドも含む)を支配したデリー・スルターン朝第2のトルコ系イスラーム王朝(1290年 - 1320年)。首都はデリー。ヒルジー朝(Khilji dynasty)ともいう。

マールワー・スルターン朝

マールワー・スルターン朝

Malwa Sultanate

マールワー・スルターン朝(マールワー・スルターンちょう、英語:Malwa Sultanate)は、インドのマールワー地方に存在したイスラーム王朝(1401年 - 1531年)。マールワー王国とも呼ばれる。首都はダール、マーンドゥー。

ムガル帝国

ムガル帝国

شاهان مغول Mughal Empire

ムガル帝国の最大版図

ムガル帝国(ムガルていこく、ペルシア語: شاهان مغول‎、英語: Mughal Empire)は、16世紀初頭から北インド、17世紀末から18世紀初頭にはインド南端部を除くインド亜大陸を支配し、19世紀後半まで存続したトルコ系イスラム王朝(1526年 - 1858年)。ムガル朝(英: Mughal dynasty)とも呼ばれる。首都はデリー、アーグラなど。

ローディー朝

ローディー朝

لوديLodi

ローディー朝の版図(右)

ローディー朝(ローディーちょう、ペルシア語: لودي‎、英語: Lodī dynasty)とは、15世紀後半から16世紀初頭にかけてガンジス川流域とパンジャーブ地方を中心に北インドを支配した、デリー・スルターン朝の5番目のアフガン系イスラーム王朝(1451年 - 1526年)。長母音を無視してロディー朝とも呼ばれる。首都はデリー、アーグラ。

列王記

『列王記』(れつおうき)は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。元来、『サムエル記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。また『列王記』自体も上下にわかれているが、これは七十人訳聖書以来の伝統である。また、正教会においては『列王記第三』、『列王記第四』と呼称される。内容的には『サムエル記』のあとを受けており、また『歴代誌』とは一部内容が重複している。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『サムエル記』と共に「前の預言者」にあたる。

この書物の原作者は、伝統的にエレミヤであると伝えられている。

奴隷王朝

奴隷王朝سلطنت مملوکSulṭanat Mamluk

奴隷王朝(どれいおうちょう、英語: Slave Dynasty)またはマムルーク・スルターン朝(ペルシア語: سلطنت مملوک‎ 転写:Sulṭanat Mamluk、英語: Mamluk Sultanate)は、北インドを支配したデリー・スルターン朝最初のトルコ系イスラーム王朝(1206年 - 1290年)。首都はデリー。

岩井清

岩井 清(いわい きよし、1933年 - )は日本の牧師。新改訳聖書の歴代誌を翻訳した。

旧約聖書

旧約聖書(きゅうやくせいしょ)は、ユダヤ教およびキリスト教の正典である。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」(タナハ)である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書と詩篇に相当するもので現在読まれているものとは異なる。それらはそれぞれ、アラビア語で「タウラー」「ザブール」と呼ばれる)が啓典とされている。

ケトゥービーム諸書
歴史書・知恵文学・預言書(旧約聖書モーセ五書以外)

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