楔形文字

楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)とは、世界四大文明の一つであるメソポタミア文明で使用されていた古代文字である。

筆記には水で練った粘土板に、葦を削ったペンが使われた。最古の出土品は紀元前3400年にまで遡ることができる。文字としては人類史上最も古いものの一つであり、古さでは紀元前3200年前後から使われていた古代エジプト象形文字に匹敵すると言われている。

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楔形文字
Cuneiform script
類型: 表語文字 後に音節文字の要素も加わる
言語: シュメール語
アッカド語
エラム語
ヒッタイト語
ルウィ語
フルリ語
ウラルトゥ語
時期: 紀元前3500年頃-紀元後1世紀
親の文字体系:
(先文字時代)
  • 楔形文字
子の文字体系: 古代ペルシア楔形文字ウガリト文字
Unicode範囲: U+12000–U+1236E (シュメール=アッカド語楔形文字)
U+12400–U+12473 (楔形文字数字)
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。

楔形文字の呼称

楔形文字(cuneiform)という名称は、ラテン語の cuneus (くさび)と、forma (形)からなる造語であり、1712年のエンゲルベルト・ケンペル廻国奇観』の中で使われてから一般でも使用されるようになったとされている[1][2]オリエント学のうち、この文字を使用した文明・文化の研究は、一般に「アッシリア学」と呼ばれる。

楔形文字というのはあくまで文字の形状に注目した名称であり、実際には起源・系統の異なる多様な文字体系を含む。文字の種類としても、代表的なシュメール語アッカド語の文字は表語文字音節文字の組み合わせであるが、ウガリット文字アブジャドであり、古代ペルシア楔形文字アルファベットである。

歴史

ウルク文化期(紀元前3200年)にシュメール人によって絵文字としての性格が強いウルク古拙文字が発明されたが、長期間繰り返し使われるうちに、次第に単純化・抽象化されて、青銅器時代初頭(紀元前2500年)には約1,000文字のシュメール文字になり、青銅器時代末期(紀元前2000年)には約400文字(ヒッタイト語楔形文字)から約200文字(アッカド語楔形文字)になった。シュメール文字シュメール語に用いられる他、アッカド語アッカド語楔形文字)、エラム語エラム語楔形文字)、ヒッタイト語ヒッタイト語楔形文字)、楔形文字ルウィ語に借用され、また古代ペルシア語古代ペルシア楔形文字)やウガリット語ウガリット文字)などに独自の文字の発達を促す役割をはたした。

文字の歴史

最初期の象形文字は、粘土板の上に縦の枠を設け、ペン、すなわちアシで作り先を尖らせた尖筆で書かれた。やがて文字は横書きになり、また先を楔形にした尖筆を粘土板に押し当てて書くようになった。

楔形文字の粘土板は長期記録用にで焼くこともでき、また残す必要がないなら再利用することもできた。考古学者が発見した粘土板の中には、粘土板のあった建物が戦乱で焼かれ、結果的に固く焼成されて保存されたものが多くある。

楔形文字は、本来シュメール人によってシュメール語記録のために発明されたもので、メソポタミア全域で3000年にわたって用いられた。しかし、次第に近隣の他の民族に借用され、アッカドバビロニアエラムヒッタイトアッシリアで楔形文字はそれらの民族固有の言語を書くのに用いられた。とはいえ、シュメール人が磨き上げた楔形文字本来の音節文字的な性格は、セム語族などの言語話者には使い勝手のよくない仕組みだった。この事実に多くの言語学者が促され、シュメール文明が再発見される以前から、バビロニア文明に先立つ文明の存在を仮定していた。

シュメール楔形文字の後世の借用は、少なくともシュメール文字のいくつかの特徴を保存している。アッカド語文献は、シュメール語の音節を表す音節文字と一語にまるごと対応する表語文字を含んでいる。楔形文字の多くの文字が、音節と意味の両価を示している (en:polyvalent)。楔形文字がヒッタイト語を書くのに借用されたとき、アッカド語の表語文字的な書き方が加えられ、その結果多くのヒッタイト語の単語が表語文字的に書かれたため、その音価を今日推定することはもはやできなくなった。音節文字と表語文字の複合した筆記システムの複雑さは、日本語の筆記システムの複雑さと比べることができる。日本語が漢字で書かれる場合は、ある文字は表音的で、ある文字は表意的に用いられ、文脈によって音価がまちまちに取られる。また、漢字から発展した純粋に表音的なカナもまた用いられる。楔形文字で書かれたヒッタイト語もまた同じような表記体系を持っていたのである。

楔形をしてはいるが、シュメール・アッカド文字と系統の異なるいくつかの表記体系が存在する。古代ペルシア楔形文字音素文字アルファベット)で、各文字の画数はアッシリア文字よりはるかに少ない。頻繁に使われる「神」や「王」といった語は表意化されている。ウガリット文字は楔形文字的方法で書かれた、標準的なセム語形式の文字(アブジャド)であった。

現在知られている楔形文字の最後の例は、紀元後75年に書かれた天文学上の記録である。

解読の歴史

1802年G.F.グローテフェントは、ペルセポリスの碑文の写本を利用し、古代ペルシア語の解読に努力した[1]

アッカド語楔形文字の解読には、1621年に発見されたアケメネス朝ペルシャベヒストゥン碑文(磨崖碑文)が、ヘンリー・ローリンソンによって1835年に再発見され、利用された。ローリンソンはイギリス陸軍の士官で、ペルシアのベヒストゥンの崖でベヒストゥン碑文を発見し、そのいくつかを写し取った。碑文はダレイオス1世の治世下(紀元前522-486年)に刻まれており、ペルシア帝国の三つの公用語、古代ペルシア語古代ペルシア楔形文字)、アッカド語アッカド語楔形文字)、エラム語エラム楔形文字)で書かれた同一のテキストであった。ベヒストゥン碑文がアッカド語楔形文字解読に果たした役割は、ロゼッタ・ストーンヒエログリフ解読に果たした役割に相当する。

ローリンソンはまず古代ペルシア語の解読に成功した。これとは別に、アイルランド人のアッシリア学者エドワード・ヒンクスもまた解読に貢献した。

古代ペルシア語を翻訳した後、ローリンソンとヒンクスは次の解読を始めた。ポール・エミール・ボッタが1842年に都市ニネヴェを発見したことで、二人は大いに助けられた。オースティン・ヘンリー・レヤードによって発掘された宝物のうちには、アッカド語楔形文字に覆われた焼かれた粘土板数万点を有するアッシュールバニパル王家の文書庫、アッシュールバニパルの図書館の遺跡があったのである。1851年までに、ローリンソンとヒンクスは200のアッカド語を読むことに成功した。

ローリンソンとヒンクスはほどなく、新たに二人の異なる解読者と協同するようになる。ドイツ生まれの若い学者ユリウス・オッペルトと、学識に富むイギリス人東洋学者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットである。

1857年には4人がロンドンで会合し、解読の正確さを試す有名な実験を行った。イギリス王立アジア学会の書記エドウィン・ノリスが、4人それぞれに、最近発見されたアッシリアの皇帝ティグラト・ピレセル1世の治世下に書かれた、碑文の写しを渡した。翻訳中は4人の情報交換は禁止された。

そして学識経験者からなる審判が集まり、4人の翻訳結果を精査し、その正確さを評価した。

4人が行った翻訳はすべての主要な点で、「ここは間違いないだろう」と自信を持った所は他の翻訳者と一致した。「もしかしたら違うかも知れない」と思った所は些細な異同があった。4人のなかでは経験の浅いタルボットは多くの間違いを犯し、オッペルトの翻訳は英語に不慣れなことから来る、幾つかの意味が取りにくい部分を含んでいた。しかしヒンクスとローリンソンの翻訳はほとんど同一であった。

審判は結果に満足したと発表し、またアッカド語楔形文字で書かれたアッカド語の解読は達成されたと宣言した。

この後、ある壷に描かれていたアッカド語楔形文字とヒエログリフが、全く同じ意味である事が発見され、解読達成の裏づけとなった(これが、楔形文字を研究するアッシリア学の公式な成立とされている)。

1930年代にはアッカド語をツールとして、(シュメール語)楔形文字で書かれたシュメール語の解読も開始され、1940年代にサミュエル・クレイマーにより解読された。

しかし、エラム楔形文字で書かれたエラム語の解読は1840年代から行なわれているが、今日に至るも比較対象の資料に乏しく、さらに研究が継続されている[3]

翻字

楔形文字には専用の翻字法がある。楔形文字は多価であるため、翻字により、情報落ちが発生するどころか、元のテキストよりも情報量が増える。例えば、ヒッタイト語テキストの文字DINGIRはヒッタイト語の音節anを表すことも、アッカド語の語句の一部のilであることも、元来のシュメール語の意味であるを表す表意文字であることもありうる。

Unicode

楔形文字はUnicode 5.0に含まれている。以下の領域に次の文字(982文字)が収録されている。

U+ 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C D E F
12000 𒀀 𒀁 𒀂 𒀃 𒀄 𒀅 𒀆 𒀇 𒀈 𒀉 𒀊 𒀋 𒀌 𒀍 𒀎 𒀏
12010 𒀐 𒀑 𒀒 𒀓 𒀔 𒀕 𒀖 𒀗 𒀘 𒀙 𒀚 𒀛 𒀜 𒀝 𒀞 𒀟
12020 𒀠 𒀡 𒀢 𒀣 𒀤 𒀥 𒀦 𒀧 𒀨 𒀩 𒀪 𒀫 𒀬 𒀭 𒀮 𒀯
12030 𒀰 𒀱 𒀲 𒀳 𒀴 𒀵 𒀶 𒀷 𒀸 𒀹 𒀺 𒀻 𒀼 𒀽 𒀾 𒀿
12040 𒁀 𒁁 𒁂 𒁃 𒁄 𒁅 𒁆 𒁇 𒁈 𒁉 𒁊 𒁋 𒁌 𒁍 𒁎 𒁏
12050 𒁐 𒁑 𒁒 𒁓 𒁔 𒁕 𒁖 𒁗 𒁘 𒁙 𒁚 𒁛 𒁜 𒁝 𒁞 𒁟
12060 𒁠 𒁡 𒁢 𒁣 𒁤 𒁥 𒁦 𒁧 𒁨 𒁩 𒁪 𒁫 𒁬 𒁭 𒁮 𒁯
12070 𒁰 𒁱 𒁲 𒁳 𒁴 𒁵 𒁶 𒁷 𒁸 𒁹 𒁺 𒁻 𒁼 𒁽 𒁾 𒁿
12080 𒂀 𒂁 𒂂 𒂃 𒂄 𒂅 𒂆 𒂇 𒂈 𒂉 𒂊 𒂋 𒂌 𒂍 𒂎 𒂏
12090 𒂐 𒂑 𒂒 𒂓 𒂔 𒂕 𒂖 𒂗 𒂘 𒂙 𒂚 𒂛 𒂜 𒂝 𒂞 𒂟
120A0 𒂠 𒂡 𒂢 𒂣 𒂤 𒂥 𒂦 𒂧 𒂨 𒂩 𒂪 𒂫 𒂬 𒂭 𒂮 𒂯
120B0 𒂰 𒂱 𒂲 𒂳 𒂴 𒂵 𒂶 𒂷 𒂸 𒂹 𒂺 𒂻 𒂼 𒂽 𒂾 𒂿
120C0 𒃀 𒃁 𒃂 𒃃 𒃄 𒃅 𒃆 𒃇 𒃈 𒃉 𒃊 𒃋 𒃌 𒃍 𒃎 𒃏
120D0 𒃐 𒃑 𒃒 𒃓 𒃔 𒃕 𒃖 𒃗 𒃘 𒃙 𒃚 𒃛 𒃜 𒃝 𒃞 𒃟
120E0 𒃠 𒃡 𒃢 𒃣 𒃤 𒃥 𒃦 𒃧 𒃨 𒃩 𒃪 𒃫 𒃬 𒃭 𒃮 𒃯
120F0 𒃰 𒃱 𒃲 𒃳 𒃴 𒃵 𒃶 𒃷 𒃸 𒃹 𒃺 𒃻 𒃼 𒃽 𒃾 𒃿
12100 𒄀 𒄁 𒄂 𒄃 𒄄 𒄅 𒄆 𒄇 𒄈 𒄉 𒄊 𒄋 𒄌 𒄍 𒄎 𒄏
12110 𒄐 𒄑 𒄒 𒄓 𒄔 𒄕 𒄖 𒄗 𒄘 𒄙 𒄚 𒄛 𒄜 𒄝 𒄞 𒄟
12120 𒄠 𒄡 𒄢 𒄣 𒄤 𒄥 𒄦 𒄧 𒄨 𒄩 𒄪 𒄫 𒄬 𒄭 𒄮 𒄯
12130 𒄰 𒄱 𒄲 𒄳 𒄴 𒄵 𒄶 𒄷 𒄸 𒄹 𒄺 𒄻 𒄼 𒄽 𒄾 𒄿
12140 𒅀 𒅁 𒅂 𒅃 𒅄 𒅅 𒅆 𒅇 𒅈 𒅉 𒅊 𒅋 𒅌 𒅍 𒅎 𒅏
12150 𒅐 𒅑 𒅒 𒅓 𒅔 𒅕 𒅖 𒅗 𒅘 𒅙 𒅚 𒅛 𒅜 𒅝 𒅞 𒅟
12160 𒅠 𒅡 𒅢 𒅣 𒅤 𒅥 𒅦 𒅧 𒅨 𒅩 𒅪 𒅫 𒅬 𒅭 𒅮 𒅯
12170 𒅰 𒅱 𒅲 𒅳 𒅴 𒅵 𒅶 𒅷 𒅸 𒅹 𒅺 𒅻 𒅼 𒅽 𒅾 𒅿
12180 𒆀 𒆁 𒆂 𒆃 𒆄 𒆅 𒆆 𒆇 𒆈 𒆉 𒆊 𒆋 𒆌 𒆍 𒆎 𒆏
12190 𒆐 𒆑 𒆒 𒆓 𒆔 𒆕 𒆖 𒆗 𒆘 𒆙 𒆚 𒆛 𒆜 𒆝 𒆞 𒆟
121A0 𒆠 𒆡 𒆢 𒆣 𒆤 𒆥 𒆦 𒆧 𒆨 𒆩 𒆪 𒆫 𒆬 𒆭 𒆮 𒆯
121B0 𒆰 𒆱 𒆲 𒆳 𒆴 𒆵 𒆶 𒆷 𒆸 𒆹 𒆺 𒆻 𒆼 𒆽 𒆾 𒆿
121C0 𒇀 𒇁 𒇂 𒇃 𒇄 𒇅 𒇆 𒇇 𒇈 𒇉 𒇊 𒇋 𒇌 𒇍 𒇎 𒇏
121D0 𒇐 𒇑 𒇒 𒇓 𒇔 𒇕 𒇖 𒇗 𒇘 𒇙 𒇚 𒇛 𒇜 𒇝 𒇞 𒇟
121E0 𒇠 𒇡 𒇢 𒇣 𒇤 𒇥 𒇦 𒇧 𒇨 𒇩 𒇪 𒇫 𒇬 𒇭 𒇮 𒇯
121F0 𒇰 𒇱 𒇲 𒇳 𒇴 𒇵 𒇶 𒇷 𒇸 𒇹 𒇺 𒇻 𒇼 𒇽 𒇾 𒇿
12200 𒈀 𒈁 𒈂 𒈃 𒈄 𒈅 𒈆 𒈇 𒈈 𒈉 𒈊 𒈋 𒈌 𒈍 𒈎 𒈏
12210 𒈐 𒈑 𒈒 𒈓 𒈔 𒈕 𒈖 𒈗 𒈘 𒈙 𒈚 𒈛 𒈜 𒈝 𒈞 𒈟
12220 𒈠 𒈡 𒈢 𒈣 𒈤 𒈥 𒈦 𒈧 𒈨 𒈩 𒈪 𒈫 𒈬 𒈭 𒈮 𒈯
12230 𒈰 𒈱 𒈲 𒈳 𒈴 𒈵 𒈶 𒈷 𒈸 𒈹 𒈺 𒈻 𒈼 𒈽 𒈾 𒈿
12240 𒉀 𒉁 𒉂 𒉃 𒉄 𒉅 𒉆 𒉇 𒉈 𒉉 𒉊 𒉋 𒉌 𒉍 𒉎 𒉏
12250 𒉐 𒉑 𒉒 𒉓 𒉔 𒉕 𒉖 𒉗 𒉘 𒉙 𒉚 𒉛 𒉜 𒉝 𒉞 𒉟
12260 𒉠 𒉡 𒉢 𒉣 𒉤 𒉥 𒉦 𒉧 𒉨 𒉩 𒉪 𒉫 𒉬 𒉭 𒉮 𒉯
12270 𒉰 𒉱 𒉲 𒉳 𒉴 𒉵 𒉶 𒉷 𒉸 𒉹 𒉺 𒉻 𒉼 𒉽 𒉾 𒉿
12280 𒊀 𒊁 𒊂 𒊃 𒊄 𒊅 𒊆 𒊇 𒊈 𒊉 𒊊 𒊋 𒊌 𒊍 𒊎 𒊏
12290 𒊐 𒊑 𒊒 𒊓 𒊔 𒊕 𒊖 𒊗 𒊘 𒊙 𒊚 𒊛 𒊜 𒊝 𒊞 𒊟
122A0 𒊠 𒊡 𒊢 𒊣 𒊤 𒊥 𒊦 𒊧 𒊨 𒊩 𒊪 𒊫 𒊬 𒊭 𒊮 𒊯
122B0 𒊰 𒊱 𒊲 𒊳 𒊴 𒊵 𒊶 𒊷 𒊸 𒊹 𒊺 𒊻 𒊼 𒊽 𒊾 𒊿
122C0 𒋀 𒋁 𒋂 𒋃 𒋄 𒋅 𒋆 𒋇 𒋈 𒋉 𒋊 𒋋 𒋌 𒋍 𒋎 𒋏
122D0 𒋐 𒋑 𒋒 𒋓 𒋔 𒋕 𒋖 𒋗 𒋘 𒋙 𒋚 𒋛 𒋜 𒋝 𒋞 𒋟
122E0 𒋠 𒋡 𒋢 𒋣 𒋤 𒋥 𒋦 𒋧 𒋨 𒋩 𒋪 𒋫 𒋬 𒋭 𒋮 𒋯
122F0 𒋰 𒋱 𒋲 𒋳 𒋴 𒋵 𒋶 𒋷 𒋸 𒋹 𒋺 𒋻 𒋼 𒋽 𒋾 𒋿
12300 𒌀 𒌁 𒌂 𒌃 𒌄 𒌅 𒌆 𒌇 𒌈 𒌉 𒌊 𒌋 𒌌 𒌍 𒌎 𒌏
12310 𒌐 𒌑 𒌒 𒌓 𒌔 𒌕 𒌖 𒌗 𒌘 𒌙 𒌚 𒌛 𒌜 𒌝 𒌞 𒌟
12320 𒌠 𒌡 𒌢 𒌣 𒌤 𒌥 𒌦 𒌧 𒌨 𒌩 𒌪 𒌫 𒌬 𒌭 𒌮 𒌯
12330 𒌰 𒌱 𒌲 𒌳 𒌴 𒌵 𒌶 𒌷 𒌸 𒌹 𒌺 𒌻 𒌼 𒌽 𒌾 𒌿
12340 𒍀 𒍁 𒍂 𒍃 𒍄 𒍅 𒍆 𒍇 𒍈 𒍉 𒍊 𒍋 𒍌 𒍍 𒍎 𒍏
12350 𒍐 𒍑 𒍒 𒍓 𒍔 𒍕 𒍖 𒍗 𒍘 𒍙 𒍚 𒍛 𒍜 𒍝 𒍞 𒍟
12360 𒍠 𒍡 𒍢 𒍣 𒍤 𒍥 𒍦 𒍧 𒍨 𒍩 𒍪 𒍫 𒍬 𒍭 𒍮
12400 𒐀 𒐁 𒐂 𒐃 𒐄 𒐅 𒐆 𒐇 𒐈 𒐉 𒐊 𒐋 𒐌 𒐍 𒐎 𒐏
12410 𒐐 𒐑 𒐒 𒐓 𒐔 𒐕 𒐖 𒐗 𒐘 𒐙 𒐚 𒐛 𒐜 𒐝 𒐞 𒐟
12420 𒐠 𒐡 𒐢 𒐣 𒐤 𒐥 𒐦 𒐧 𒐨 𒐩 𒐪 𒐫 𒐬 𒐭 𒐮 𒐯
12430 𒐰 𒐱 𒐲 𒐳 𒐴 𒐵 𒐶 𒐷 𒐸 𒐹 𒐺 𒐻 𒐼 𒐽 𒐾 𒐿
12440 𒑀 𒑁 𒑂 𒑃 𒑄 𒑅 𒑆 𒑇 𒑈 𒑉 𒑊 𒑋 𒑌 𒑍 𒑎 𒑏
12450 𒑐 𒑑 𒑒 𒑓 𒑔 𒑕 𒑖 𒑗 𒑘 𒑙 𒑚 𒑛 𒑜 𒑝 𒑞 𒑟
12460 𒑠 𒑡 𒑢
12470 𒑰 𒑱 𒑲 𒑳

脚注

  1. ^ a b 前田(2000) 5ページ
  2. ^ Kaempfer, Engelbert (1712). Amoenitatum exoticarum. pp. 331-334. "Inscriptionem exhibet, expressam characteribus peregrinis, formam habentibus cuneolorum;" (hathitrust)
  3. ^ Khačikjan, Margaret. 1998. "The Elamite Language". Documenta Asiana IV, Consiglio Nazionale delle Ricerche Istituto per gli Studi Micenei ed Egeo-Anatolici. ISBN 88-87345-01-5

関連書籍

  • Jean-Jacques Glassner (translated and edited by Marc Van De Mieroop and Zainab Bahrani, The Invention of Cuneiform: Writing in Sumer, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2003.
  • 前田徹・川崎康司・山田雅道・小野哲・山田重郎・鵜木元尋『歴史の現在 古代オリエント』山川出版社、2000年。ISBN 978-4-634-64600-1。
  • 小林登志子『シュメル 人類最古の文明』中央公論新社〈中公新書〉、2005年。

関連項目

外部リンク

  • Akkadian - 楔形文字のUnicodeフォント(free)
ISO 15924

ISO 15924(英語: Codes for the representation of names of scripts, フランス語: Codes pour la représentation des noms d’écritures)は、ISOの文字体系(用字系)の略号を定めた規格。4文字のアルファベットと3桁の数字の2種類がある。

アルファベットの略号は、ISO 639-2のBコードに由来している(例: グジャラーティー; ISO 639 guj, ISO 15924 Gujr)。

アケメネス朝

アケメネス朝

haxāmanišiya

アケメネス朝の最大版図

アケメネス朝(古代ペルシア語: 𐏃𐎧𐎠𐎶𐎴𐎡𐏁 Haxāmaniš ハカーマニシュ、古代ギリシア語: Ἀχαιμένης アカイメネース)は、古代オリエントに存在した王朝・帝国・遊牧国家。アケメネス朝ペルシアまたは単にペルシア帝国とも呼ばれる。インド・ヨーロッパ語系の民族であるペルシア人が建設し、4王国(メディア、リュディア、新バビロニア、エジプト)に分立していたオリエント世界を統一した。ダレイオス1世の時代には、エーゲ海沿岸からインダス川流域に及ぶ広大な世界帝国となったものの、紀元前330年にアレクサンドロス大王の遠征軍によって滅ぼされた。

アッカド語

アッカド語(アッカド語: 𒀝𒅗𒁺𒌑‎, ラテン文字転写: akkadū)は、「アッシリア・バビロニア語(Assyro-Babylonian)」とも呼ばれ、古代メソポタミアで、主にアッシリア人やカルデア人(バビロニア人)、ミタンニ人に話されていた言語。当時は国際共通語でもあった。アフロ・アジア語族セム語派に分類され、現在知られているなかで最も古いセム語である。楔形文字で表記された。またシュメール語からの借用語が非常に多いのも特徴の一つである。

アナトリア象形文字

アナトリア象形文字(アナトリアしょうけいもじ、Anatolian hieroglyphs)とは、アナトリア中部に起源を持つ、約500文字から構成された表語文字である。かつてはヒッタイト象形文字と呼ぶのが普通であったものの、この文字で表される言語がルウィ語であってヒッタイト語ではないことが明らかになったため、ルウィ象形文字(Luwian hieroglyphs)という用語も英語の出版物で用いられる。さらにフルリ語を書き表すためにも用いられていたことから、最終的には使用地域名を冠して呼ばれるようになった。類型的にエジプトのヒエログリフに類似しているが、ヒエログリフに由来するわけではないし、エジプトにおけるヒエログリフと同等の神聖な役割を果たしたかどうかはわかっていない。ヒッタイト楔形文字との明白な関連性も存在しない。

ウガリット文字

ウガリット文字(うがりっともじ)は、ウガリット語の表記に用いられた表音文字。

また、フルリ語の表記にも用いられた。原シナイ文字に続く世界最古の音素文字の一つであると言われる。

地中海沿岸の古代都市ラス・シャムラ(シリア)のウガリットの遺跡で発見された粘土板文書が代表的史料とされる。1930年にドイツ人ハンス・バウアーによって解読された。

楔形文字の一種だが、メソポタミアで用いられたものが表意文字の性格を色濃く残しているのに対しこちらはほぼ完全に表音文字となっている。音素文字化もある程度進んでおり、字母数はメソポタミアのものよりはるかに少ない。また画数が大幅に減らされているなど、簡略化が進んでいる。発見された粘土板の中に、文字を学ぶ者のために書かれたと思われる文書が存在している。アルファベット文字をギリシア語のアルファ、ベータ…と同じ順に並べて記している。

音節文字3字と音素文字(子音のみを表す)27字、句読点1字の計31文字から構成される。左から右に横書きされる。

以下に画像で字形とラテン文字転写を示す。

以下は、ラテン文字転写とおおよその発音である。いずれも再建音であり、史実とは異なる可能性もある。参考程度にとどめられたい。

エラム語

エラム語(エラムご)は系統不明の言語で、古代のエラム帝国で紀元前2800年頃から紀元前550年頃に使われ、紀元前6世紀から紀元前4世紀にかけてペルシア帝国の公用語であった。最後のエラム語の文字による記録はアレクサンドロス大王によるアケメネス朝の征服の頃に残されている。現在は死語になっている。

シュメール語

シュメール語(𒅴𒂠 - eme-ĝir15)は、古代メソポタミアで使用された言語である。

ハンムラビ法典

ハンムラビ法典(ハンムラビほうてん、英語: Code of Hammurabi)は、紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が発布した法典。アッカド語が使用され、楔形文字で記されている。材質は玄武岩(当初は閃緑岩と鑑定されそう記述されているものが多い)で高さは2m25cm、周囲は上部が1m65cm、下部が1m90cm、発見当時は大きく3つに破損していた。

バビロニア

バビロニア(古希: Βαβυλωνία、英: Babylonia)、またはバビュロニアは、現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域である。南北は概ね現在のバグダード周辺からペルシア湾まで、東西はザグロス山脈からシリア砂漠やアラビア砂漠までの範囲に相当する。その中心都市バビロンは『旧約聖書』に代表される伝説によって現代でも有名である。バビロニアは古代においては更に南部のシュメール地方と北部のアッカド地方に大別され、「シュメールとアッカドの地」という表現で呼ばれていた。

バビロニアは世界で最も古くから農耕が行われている地域の一つであり、前4000年期には既に中東の広い範囲との間に交易ネットワークが張り巡らされていた。前3000年期には文字が使用され始めた。初めて文字システム体系を構築したシュメール人やアッカド人たちはバビロニア南部でウルやウルク、ニップル、ラガシュなどに代表される多数の都市国家を構築し、前3000年期後半にはアッカド帝国がバビロニアを含むメソポタミア全域への支配を打ち立て、更にウル第3王朝がそれに続いた。

前2000年期に入ると、アムル人(アモリ人)と呼ばれる人々がメソポタミア全域で多数の王朝を打ち立てた。その内の一つでバビロンに勃興したバビロン第1王朝は、ハンムラビ王(在位:前1792年-前1750年)の時代にメソポタミアをほぼ統一し、バビロンが地域の中心都市となる契機を作った。前2000年期後半にはカッシート人が作った王朝(バビロン第3王朝)が支配権を握り、古代オリエント各地の国々と活発に交流を行い、または戦った。カッシート人の王朝は東のエラムとの戦いによって滅亡した。

前1000年期前半にはバビロニアの王朝はアッシリアとの相次ぐ戦いの中で次第に劣勢となり、アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世(在位:前745年-前727年)によってその支配下に組み込まれた。アッシリアによるバビロニアの支配は恒常的な反乱にも関わらず、短期間の中断を挟み100年以上継続したが、前625年にカルデア人ナボポラッサル(ナブー・アピル・ウツル、在位:前625年-前605年)がアッシリア人を駆逐し、新バビロニア王国(カルデア王国)を建設したことで終わった。新バビロニアは更に前539年にアケメネス朝(ハカーマニシュ朝)の王キュロス2世(クル2世、在位:前550年-紀元前529年)によって征服され、その帝国の一部となった。アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス3世(大王、在位:前336年-前323年)は遠征の途上、バビロンに入場し、また征服の後はバビロンで死去した。

アレクサンドロス大王の死後、後継者(ディアドコイ)の一人セレウコス1世(在位:前305年-前281年)がバビロニアの支配者となった。彼がバビロニアに新たな拠点としてティグリス河畔のセレウキアを建設するとバビロンの重要性は次第に失われて行き、続くアルサケス朝(アルシャク朝、パルティア王国)時代にはセレウキアとその対岸の都市クテシフォン(テーシフォーン)が完全にバビロニアの中心となってバビロン市は放棄された。それに伴い、シュメール時代から続けられていた楔形文字による文字体系も失われ、古くから伝承されたシュメール語やバビロニア語の文学的伝統も途絶えた。

バビロニアは法律、文学、宗教、芸術、数学、天文学などが発達した古代オリエント文明の中心地であり、多くの遺産が後代の文明に引き継がれた。政治体制は基本的に都市国家的な性格を強く残し、地域全体を包括する政治的統一が成し遂げられたのは特定の時代に限られる。アムル人、カッシート人、アラム人など外部からの頻繁な移住が行われ、地元の住民と衝突、混交した。地域の中心的な言語はシュメール語及びアッカド語(バビロニア語)からアラム語へと移り変わり、アレクサンドロス3世(大王)による征服の後にはギリシア語も普及した。

なお、歴史上のどの時点からをバビロニアと呼び、またそれはいつまでであるのかについて明確な定義があるわけではない。本項では便宜上、バビロン市が史料に初めて登場するアッカド帝国時代前後から、バビロン市が完全に放棄され楔形文字による文字記録が途絶えるまでを中心として述べる。現在において年代が確実な最期の楔形文字文書は西暦74/75年の天文記録であり、年代不明の文書の一部は1世紀以降まで時代が下る可能性がある。

ヒッタイト語

ヒッタイト語(ヒッタイトご)はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属する言語。アナトリア半島中央部のハットゥシャ(現在のトルコ北部ボアズキョイ)を中心とするヒッタイト帝国で使われた言語で、楔形文字によって粘土板に書かれた紀元前16世紀から紀元前13世紀頃までの文書が残っている。第一次世界大戦中に解読された。インド・ヨーロッパ語族の言語のうちもっとも古い文献の残る言語である。

ヒッタイト語は他の印欧語と異なる点が多く、早い時期に印欧語から分離したと推測されてきた。印欧語族の「姉妹言語」と考える研究者もいる。

ベヒストゥン碑文

ベヒストゥン碑文 (英: The Behistun Inscription, ペルシア語: بیستون‎ Bīsotūn)は、アケメネス朝(ハカーマニシュ朝)の王ダレイオス1世(ダーラヤワウ1世)が、自らの即位の経緯とその正統性を主張する文章とレリーフを刻んだ巨大な磨崖碑。イラン西部のケルマーンシャー州にある。

メソポタミア

メソポタミア(ギリシャ語: Μεσοποταμία、ラテン文字転写: Mesopotamia、ギリシャ語で「複数の河の間」)は、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野である。現在のイラクの一部にあたる。

古代メソポタミア文明は、メソポタミアに生まれた複数の文明を総称する呼び名で、世界最古の文明であるとされてきた。文明初期の中心となったのは民族系統が不明のシュメール人である。

地域的に、北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。南部の下流域であるシュメールから、上流の北部に向かって文明が広がっていった。土地が非常に肥沃で、数々の勢力の基盤となったが、森林伐採の過多などで、上流の塩気の強い土が流れてくるようになり、農地として使えない砂漠化が起きた。

古代メソポタミアは、多くの民族の興亡の歴史である。 例えば、シュメール、バビロニア(首都バビロン)、アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、ヒッタイト、ミタンニ、エラム、古代ペルシャ人の国々があった。古代メソポタミア文明は、紀元前4世紀、アレクサンドロス3世(大王)の遠征によってその終息をむかえヘレニズムの世界の一部となる。

ルウィ語

ルウィ語(ルウィご)はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属する言語で、紀元前16世紀から紀元前7世紀までの資料がアナトリア半島南部からシリアにかけての広い範囲に残っている。同じ語派に属するヒッタイト語と共通する点も多いが、はっきりと異なった言語である。

原エラム

原エラム期(げんエラムき、英: Proto-Elamite period)とは、スーサ(後にエラムの首都となる)がイラン高原の文化から影響を受け始めた、紀元前3200年から紀元前2700年までの時代である。考古学の用語では、これはBanesh期後期に相当する。この文明はイラン最古であると認識されており、およそ紀元前3500年に始まった世界最古のシュメール文明と隣接し、ほとんど同時期に始まった。

原エラム文字(げん - もじ、英: Proto-Elamite script)は、エラム語楔形文字(英: Elamite cuneiform)の採用以前に古代エラム語を表記するため一時的に使われた、青銅器時代前期の文字体系である。

古代ペルシア楔形文字

古代ペルシア楔形文字(こだいペルシアくさびがたもじ)は、古代ペルシア語を記すためにアケメネス朝で使用された文字。紀元前6世紀から紀元前4世紀までの碑文がペルセポリス、スーサ、ハマダーン(エクバタナ)、ナクシェ・ロスタム、バビロンなどの地に残るが、そのうちもっとも長文でかつ重要なものはベヒストゥン碑文である。

楔形文字の一種であるが、他の楔形文字が音節文字と表語文字の組み合わせであるのと異なり、基本的に音素文字(アルファベット)である。左から右へと書かれる。

古代ペルシア語

古代ペルシア語(こだいペルシアご)はイラン語派に属する言語のひとつである。古代ペルシア帝国(アケメネス朝)の公用語の一つで、古代ペルシア楔形文字を用いて書かれた紀元前6世紀から紀元前4世紀までの碑文が残る。

アヴェスター語とともに古代イラン語に含まれる。中世ペルシア語(パフラヴィー語)や現代ペルシア語の祖先にあたる。

文字

文字(もじ)とは、言葉・言語を伝達し記録するために線や点を使って形作られた記号のこと。文字の起源は、多くの場合ものごとを簡略化して描いた絵文字(ピクトグラム)であり、それが転用されたり変形、簡略化されたりして文字となったと見られる。

粘土板

粘土板(ねんどばん)とは主にメソポタミアで使われた情報伝達のための手段である。

象形文字

象形文字(しょうけいもじ)とは、ものの形をかたどって描かれた文字からなる文字体系で、絵文字からの発展によって生まれたと考えられている。絵文字と象形文字との最大の違いは、文字が単語に結びつくか否かにある。絵文字が文字と語の結びつきを欲せず、その物を必要としたものであるのに対し、象形文字は文が語に分析され、その語と文字とが一対の対応をなす表語文字の一種のことをいう。

象形文字では、文字はもっぱらそのかたどったものの意味を担うが、一般に表語文字では、それぞれの文字が具体的な事物にとどまらず語や形態素を表すことが多い(詳細は表語文字の項を参照)。しかし、漢字における仮借、ヒエログリフなどでの表音的使用など必ずしも象形文字の特徴と一致するわけではないものもまとめて象形文字と呼ぶことが多い。

このような意味での象形文字としては、漢字、ヒエログリフ、楔形文字、インダス文字、トンパ文字などがある。

文字体系の一覧

他言語版

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