ユトランド半島

ユトランド半島(ユトランドはんとう、デンマーク語: Jylland[ˈjyl.anˁ] ユラン)、ドイツ語: Jütland[ˈjyːtlant] ユートラント)、英語: Jutland[ˈdʒʌtlənd] ジャトランド)、フランス語: Jutland[ʒyt.lɑ̃d] ジュトランド) )は、ヨーロッパ大陸北部にある、北海バルト海を分かつ半島である。北側がデンマーク領、根元のある南側がドイツ領である。「ジュート人が住む地」という文字通りの意味である。

本稿では日本で定着している「ユトランド[1](半島)」という表記・読み方を用いる。

Jutland Peninsula map
ユトランド半島
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デンマークの地図

概要

面積は29,775km2人口2004年現在2,491,852人。地形はなだらかな丘からなり、気候は冷涼である。デンマーク王国の本土とドイツ連邦共和国の北端部をなしており、半島の大半はデンマーク王国に占められている。南部はドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州であり、その前身であるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の時代からの係争地だった。

バルト海と北海を分けるように張り出し、スカンジナビア半島との間には多数の島々があるため、船の航行を容易にするアイダー運河(1784年完成)とキール運河1895年完成)が半島の根元を横断するようにドイツ領内に建設されている。

ユトランド半島で話されるデンマーク語は、特徴的なユトランド訛りをもつ。標準デンマーク語とユトランド方言の違いは、しばしば標準デンマーク語とスウェーデン語の違いより大きいといわれる。これはLinguasphereによる言語分類においても同様である。

半島内の都市

ユトランド半島のデンマーク側の最大の都市はオーフスである。他の主要都市として、オールボーエスビャウフレゼリクスハウンラナースコリングシルケボーヴァイレヴィボーホーセンスなどがある。なお、デンマークの首都コペンハーゲンは大陸側にはなく、スカンジナビア半島との間に浮かぶシェラン島にある。

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の主要都市にはキールリューベックフレンスブルクノイミュンスター、ノルトシュタットの5つがあるが、リューベックとノルトシュタットはユトランド半島にはない。また、アンゲルン半島などの小半島がいくつかある。

歴史

この地の先住民はアングル人サクソン人ジュート人および一部のヴァンダル人であることが分かっている。

デーン人の到来により彼らは圧迫され、450年頃、ブリテン島へ移動を開始した。アングル人は、自分たちの部族名をブリテン島に新たに建国された王国に冠したが、それがイングランド(アングル人の国)の名称の起源である。

デーン人の祖先は、有史以前、スカンジナビア半島ウップサーラ(現スウェーデン領)周辺を本拠地としたオーロフ王である。デーン人はジュート人と凄惨な争いを繰り返したが、両者の混血が進むにつれて抗争は減っていった。

デーン人は、キリスト教徒であるフランク人皇帝の侵略に対し、自己防衛のために少なからぬ努力を払った。重要なものとしては、「ダンヴィルク」(Danevirk、デーン人の仕事)と呼ばれる城壁を、北海沿岸からバルト海にかけて構築したことがあげられる。

カール大帝は、バルト海沿いの東ユトランド(のちのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン地方とメクレンブルク地方)の非キリスト教徒のサクソン人を駆逐し、代わりにカール大帝に忠誠を誓ってキリスト教に改宗したスラヴヴェンド人の一集団であるObotrites族を移住させた。

この半島の南部はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国の領域で、デンマークとスウェーデン、ドイツとの間の領土争いが絶えず、スウェーデンとは17世紀に北方戦争18世紀大北方戦争が行われ、1864年にはドイツ統一戦争の一部であるデンマーク戦争が起きている。

第一次世界大戦におけるユトランド沖海戦は、史上最大の海戦のひとつである。イギリス海軍とドイツ海軍がユトランド半島沖の北海で激しい戦闘を繰り広げ、双方が大きな人的損害と艦船の喪失をこうむった。イギリス海軍の方が直接の損害は大きかったが、その本国艦隊(Grand Fleet)の戦闘能力を維持することができたのに対し、主要艦船に大きな損害を受けたドイツ海軍は、その大洋艦隊(Hochseeflotte)の戦闘能力を維持することができず、以後、大規模な水上決戦を避けて潜水艦作戦へと戦術を転換することになった。

脚注

  1. ^ 日本ではこの「ユトランド」という本来は誤った表記・読み方が定着している。これはおそらく英語: Jutlandを誤読した読み方と考えられる(加えてドイツ語の読み方の混入もある)。また一部の分野ではさらに「ジュトランド」、「ジュットランド」というフランス語もしくは各言語が混ざった読み方が見られる( 例えば、近代戦艦史(世界の艦船1987年3月増刊号・海人社)p181)

関連項目

アングル人

アングル人(英:Angle ; 羅:Angli)またはアンゲルン人、アンゲル人(独:Angeln / Angel ; 蘭:Angelen)は、西方系ゲルマン人の一種族であり、ユトランド半島南部に位置するアンゲルン半島(ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の一部)の一帯に住んでいた人々を指す。その一部は6世紀頃にイングランド北東部に移住して幾つもの王国を建国し、後のアングロサクソン人の祖先となった。

アングロ・サクソン人

アングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。このようにドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロサクソン人と呼ぶことは原則ない。ただし、ザクセン王国は20世紀初頭までドイツ帝国内に存続しており、現在も州名などに残っているため、ドイツの地域住民としてのザクセン人(サクソン人)という名称は今も用いられる。

エルステッド (デンマークの企業)

エルステッド(デンマーク語: Ørsted A/S)は、デンマーク・フレゼリシアに本拠を置く電力会社。コペンハーゲン証券取引所上場企業(OMX: ORSTED)。

1972年に設立された国営石油・ガス会社のDansk Naturgas A/Sがルーツとなる。同社はDansk Olie og Naturgas A/Sと改名し、頭文字を取ってDONGと呼ばれるようになった。2000年代に入り同社は電力事業に進出し、先行して洋上風力発電に投資していたElsam A/Sなどの電力会社と2006年に合併し、ドン・エナジー(Dong Energy A/S)が設立された。

近年は洋上風力発電への投資を盛んに行っており、2013年にシーメンスと共同でユトランド半島沖にデンマーク最大の洋上風力発電所であるAnholt Offshore Wind Farmを、2017年にVindeby Offshore Wind Farmをそれぞれ完成させた。イングランド北東部沖合のHornsea Wind Farmの建設に2016年以降着手し、アジア地域では台湾・彰化県沖の洋上風力発電プロジェクトを受注した。

2016年6月、コペンハーゲン証券取引所に株式公開を行った。2017年10月、石油・ガス事業をイギリスの石油会社イネオスに売却し、社名をデンマークの物理学者ハンス・クリスティアン・エルステッドにちなみエルステッドへと改めた。株式の過半数をデンマーク政府が保持している。

オーフス

オーフス (デンマーク語: Aarhus、1948年から2010年まではÅrhus、発音 [ˈɒːhuːˀs] ( 音声ファイル)) はデンマークでは2番目に大きな都市である。オーフス自治体の中心地で、ユトランド半島の東岸に位置しデンマークの地理的な中心部に位置し、コペンハーゲンの南西187km、ハンブルクの北289kmの場所にある。人口は2015年1月1日現在、市街地と自治体が326,676人、ユーロスタットの推計では大都市圏域の人口は845,971人であった。オーフスの歴史的な始まりは8世紀に創建されたヴァイキングの要塞化された入植地で、教区の中心としての最初の記録は少なくとも948年からである。

オーフスはフェルデン・東ユトランドフィヨルドの北岸の天然の沿岸港に創建され、何世紀にもわたる海上交易や農産品の成長に主要な役割を果たした。マーケットタウンの特権は1441年に獲得したが、17世紀のカール・グスタフ戦争の間には封鎖や砲撃により困難に陥った。19世紀には2度、ドイツの軍隊によって第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争の間占領されたが、破壊は免れた。産業革命によってオーフスは成長し、20世紀までにはデンマークでは2番目に大きな都市となった。

今日のオーフスは、地域の文化や経済の中核でユトランド半島では最大の商業やサービス、工業の中心である。欧州連合域内では92番目の規模の都市で、世界ではトップ100に入るカンファレンスの都市である。コンテナの取扱とカテガット海峡の貿易の重要なハブの面でデンマークの主要な産業港である。

主要なデンマークの企業はオーフスに本社を置き拠点としており、中央ユラン地域の広いエリアから人々が通勤やレジャーでやって来る。北欧諸国の研究や教育の中心でもあり、拠点を置くオーフス大学はスカンディナヴィアでは最大の大学で オーフス大学病院やINCUBサイエンスパークが含まれる。オーフスはデンマークでは一番若者が多い都市で、学生の人口が13%を占めており2010年以来、毎年平均4,000人の人口増加で急速に増加している都市の1つである。オーフスは 東ユトランド大都市圏地域の中心部で経済成長や人口規模ではデンマークでは2番目の規模である。

オーフスは注目されるミュージカルの歴史があり、1950年代に多くのジャズクラブが若者たちに支えられ街の周辺に急速に出現した。1960年代には音楽シーンはロックや他のジャンルに多様化した。1970年代や1980年代にはオーフスはデンマークのロック音楽の中心となり TV-2や Gnagsなど多くの象徴的なバンドを育んだ。オーフスでは毎年8日間の オーフス国際ジャズフェスティバル、 SPoTフェスティバル、 ノースサイドフェスティバルが開催される。

カテガット海峡

カテガット海峡(カテガットかいきょう Kattegat)は、デンマークのユトランド半島北東部とスカンジナビア半島との間にある海峡。

Kattegat は文字通りのオランダ語で「猫の穴」を意味するが、この名前を考えたオランダの船乗り達はこれに「狭い通り道」という意味も付けた。

北海とバルト海の間にある水域のうちバルト海に近い南東部(北海に近い北西部はスカゲラク海峡)で、国際水路機関 (IHO) による海域分類では独立した海域になっているが、広義の北海の一部とされることもある。

北西へはユトランド半島北端グレネン岬付近でスカゲラク海峡 (Skagerrak) と分かれ、さらにその向こうには北海がある。南へは南東のエーレスンド海峡 (Øresund) と南西のストレ海峡 (Store Bælt)、それらの間のシェラン島によりバルト海と分けられている。

キール (ドイツ)

キール(ドイツ語: Kiel, ドイツ語発音: [ˈkiːl] ( 音声ファイル))は、バルト海に面したドイツ北部の都市。シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の州都であり、人口242,041人(2011年)。

キールは、ハンブルクのおよそ90キロメートル (56 mi)北、フレンスブルクの70キロメートル (43 mi)南東、リューベックの60キロメートル (37 mi)北西に位置する。ドイツ北部の、ユトランド半島の南東、バルト海の南西という地理的条件により、キールはドイツ海事の中心地の1つとなった。また、国際セーリングイベントでも知られ、世界最大のセーリングイベントのキール・ウィークも開催される。ベルリンオリンピックやミュンヘンオリンピックでは、セーリング競技がキールで開催された。

キール条約

キール条約(キールじょうやく、Treaty of Kiel)は、1814年1月14日、スウェーデン王国とデンマーク=ノルウェー連合王国の間で締結された国際条約。スウェーデンとノルウェーの同君連合が成立する契機となった。なお、キールはバルト海に面したドイツ北部の軍港であるが、当時はデンマーク王がキールを首府とするホルシュタイン公国の公を兼務していた。

1807年からナポレオン戦争にフランス側として参戦していたデンマークは、1813年にスウェーデン軍によるユトランド半島侵攻を許し、その結果としてこの条約が結ばれることとなった。これによりデンマークはノルウェーをスウェーデンに割譲し、プロイセン王国が代償としてバルト海南岸にあるスウェーデン領ポメラニア(旧ポメラニア公国)を領有することとなった(ポンメルン州)。ただノルウェー領であったアイスランドやグリーンランド、フェロー諸島は、デンマークの領有として残された。

しかし、この条約は実際には履行されず、ポンメルンはプロイセン王国が併合した。また、この条約締結の知らせを受けたノルウェー副王クリスチャン・フレデリック(後のデンマーク王クリスチャン8世)が反乱を起こした。ノルウェーは1814年5月17日独立を宣言し、クリスチャン・フレデリックが国王に選出された。しかしスウェーデンはノルウェー独立を認めず、王太子カール・ヨハンが軍を率いてノルウェー軍を屈服させた(スウェーデン・ノルウェー戦争)。クリスチャン・フレデリックは王位を捨てて出国し、8月にモス条約が締結されて、ノルウェー王にはスウェーデンのカール13世が即位した。これ以降1905年までスウェーデンとノルウェーは同君連合となった(スウェーデン=ノルウェー)。この条項は、ウィーン議定書(ウィーン会議)にも載せられ、ナポレオン戦争後のウィーン体制として帰結した。

クヌーズ5世 (デンマーク王)

クヌーズ5世(Knud V, 1129年 - 1157年8月9日)は、デンマーク王(在位:1146年 - 1157年)。父はデンマーク王ニルスの息子であるスウェーデン王マグヌス1世、母はポーランド王ボレスワフ3世の娘リクサ。世数はクヌーズ3世ともされる。

又従兄に当たるデンマーク王エーリク3世が退位するとユトランド半島の貴族に擁立されるが、エーリク3世の従弟のスヴェン3世もシェラン島で即位、内戦が勃発した。翌1147年にシェラン島を攻撃したが失敗して一旦和睦、ヴェンド十字軍に参戦したが、解散すると再度対立、1150年に敗北してドイツへ亡命した。1152年にドイツ王フリードリヒ1世に忠誠を誓い、スヴェン3世の共同統治者となった。

1154年、シュレースヴィヒ公ヴァルデマー(エーリク3世の従弟、後のヴァルデマー1世)と同盟を結び、スヴェン3世を追放した。1157年に和睦が成立、クヌーズ5世はシェラン島とフュン島を治めることに決まったが、8月9日にロスキレで開かれた祝宴でスヴェン3世の刺客に暗殺された。ヴァルデマー1世はユトランド半島へ逃げ延び、グラーテ・ヘーゼの戦いでスヴェン3世を討ち取ってデンマークの内乱を終結させた。異父妹ソフィアは同年にヴァルデマー1世と結婚した。

ゲルマン人

ゲルマン人(ゲルマンじん、ドイツ語:Germanen)は、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンディナヴィア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ語族 - ゲルマン語派に属する言語を母語とする諸部族・民族。先史時代,歴史時代初めのゲルマン語を話す部族および部族連合を原始ゲルマン人、または古ゲルマン人と呼ぶ。原始ゲルマン人は中世初期に再編されゲルマン民族となり、4世紀以降フン人の西進によって、ゲルマン系諸民族は大移動を開始し、ローマ領内の各地に建国して、フランク、ヴァンダル、東ゴート・西ゴート、ランゴバルドなどの新しい部族が形成された。ゲルマンという名前の由来は、「ドイツ」を英語で言った時の、German に由来すると言われている。

原始ゲルマン人は現在のデンマーク人、スウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、アングロ・サクソン人、オランダ人、ドイツ人などの祖先となった。アングロ・サクソン人になったゲルマン人系部族にはアングル人、サクソン人、ジュート人、フリース人がいた。

ザクセン

ザクセン(Sachsen, 低ザクセン語: Sassen, 低フランク語、蘭: Saksen、英: Saxony)は、ドイツの地域名。

現在は単にザクセンと言えばザクセン州を指すことが多い。しかし、州名にザクセンを含む州は他にザクセン=アンハルト州、ニーダーザクセン州がある。ザクセンの範囲は歴史的に大きく変動しており、現在のザクセン=アンハルト州やニーダーザクセン州、テューリンゲン州にまで及んだ時期もあった。

シェラン島

シェラン島(デンマーク語: Sjælland [ˈɕɛˌlanˀ]、英語: Zealand)は、デンマークの島。ユトランド半島の東、バルト海に位置する。面積は7,031 km2でグリーンランドとその属島を除くとデンマークで最も広い。人口は約210万人でデンマークの東部にあり、東端には首都コペンハーゲンがある。西にあるフュン島との間には大ベルト海峡を跨ぎ大ベルト橋が架かる。東にはコペンハーゲン空港があるアマー島がある。ここからエーレスンド海峡(ウーアソン海峡)の海底トンネルを通って人工島であるペベルホルム島(Peberholm)を通過し、そこからエーレスンド橋を渡るとスウェーデンに行ける。南のファルスター島との間はファローブローン橋で結ばれている。

コペンハーゲンから北へウーアソン海峡沿いに走る鉄道で海岸線を走る。途中、ロングスデス・キュスト駅(Rungsted Kyst Station)周辺では、作家カーアン・ブリクセンの生家を改装した美術館があり、広い庭にはブリクセンの墓地がある。次にホムレベク駅(Humlebæk Station)周辺ではルイシアナ現代美術館があり、庭園から海峡や隣国のスウェーデンまで見渡せる。

なお、英称はZealandだが、ニュージーランド(New Zealand、オランダのゼーラント州が由来)とは無関係である。

スカゲラク海峡

スカゲラク海峡(丁・諾・典・英: Skagerrak)は、ユトランド半島とスカンジナビア半島との間にある海峡。おおむね、ユトランド半島(デンマーク)北方の海域を指す。

デンマーク

デンマーク

Danmark

国の標語:なし王のモットー: Guds hjælp, Folkets kærlighed, Danmarks styrke(デンマーク語: 神の救い、国民の愛情、デンマークの力)

国歌:Der er et yndigt land(デンマーク語)麗しき国王室歌:Kong Christian stod ved højen Mast(デンマーク語)クリスチャン王は高き帆柱の傍に立ちて

この表中の各数値は、グリーンランドとフェロー諸島を含んでいない。

デンマーク(デンマーク語: Danmark, 発音 [ˈdænmɑɡ̊] ( 音声ファイル))は、北ヨーロッパに位置し、バルト海と北海に挟まれたユトランド半島およびその周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家。

北欧諸国の1つであり、北では海を挟んでスカンディナヴィア諸国、南では陸上でドイツと国境を接する。首都のコペンハーゲンはシェラン島に位置している。海外領土でない領土を大陸部分に領有しながら首都が島嶼に存在する数少ない国家の一つである(他には赤道ギニアのみ)。

自治権を有するグリーンランドとフェロー諸島と共にデンマーク王国を構成している。

ノルディックモデルの高福祉高負担国家であり、市民の生活満足度は高く、2014年の国連世界幸福度報告では第1位であった。

デンマーク語

デンマーク語(デンマークご、dansk [ˈdanˀsɡ] ( 音声ファイル), dansk sprog [ˈdanˀsɡ ˈsbʁɔwˀ])は、デンマーク本土などで話される言語で、デンマーク民族の母語である。

デンマークの自治領であるフェロー諸島とグリーンランドでは、それぞれ西ノルド語のフェロー語、及びエスキモー語であるグリーンランド語が話されているが、デンマーク語も公用語として一般的に通用する。また、ドイツのシュレースヴィヒ地方にはデンマーク語を母語とする「デンマーク少数民族」が約5万人ほど存在しているほか、アイスランドでも外国語として学ばれていることから同国でもデンマーク語が広く通用する。

デンマーク語の系統としてはインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)ゲルマン語派のノルド諸語(北ゲルマン語群)東ノルド語に属する。

フュン島

フュン島(デンマーク語:Fyn)は、デンマークの中央部にある島。ユトランド半島の東に位置し、面積は2,984 km2でグリーンランドとその属島を除くとデンマークで3番目に広い。人口は447,000人(2006年時点)。

中心都市は島の中央部にあるデンマーク第3の都市オーデンセで、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの出身地として有名。少年期の14年を過ごした家も残っており、アンデルセンの家という名のついた博物館もある。

フュン島は周辺の島を併せてフュン県を構成していたが、2007年の自治体再編により南デンマーク地域(Region Syddanmark)に属する。

フュン島と首都コペンハーゲンのあるシェラン島とは大ベルト海峡で隔てられている。1998年に完成した大ベルト橋は、海峡の中にあるスプロウエ島を間に挟んだ西橋と東橋からなり、東橋は主スパン長1624mで、世界第2位の長さの吊り橋である。

フュン島とユトランド半島の間には小ベルト海峡があり、2本の橋で結ばれており、南のトーシンエ島との間にも橋がある。

島の東部の小さな村ヘスルエーヤに約370立方メートル、1000トン余の大石が存在し、「姥石」(うばいし)と呼ばれている。その大石は周囲の土壌とまったく関係ない花崗岩である。氷河に押し流された捨て子石とか迷子石とか言われるものの一種であることは確かである。

ヴァイキング

ヴァイキング(英: Viking、典: viking、独: Wikinger)とは、ヴァイキング時代(Viking Age、800年 - 1050年)と呼ばれる約250年間に西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィア、バルト海沿岸地域の武装船団(海賊)を指す言葉。

彼らは北方系ゲルマン人で、ゲルマン民族移動の時代には南下(デーン人のユトランド半島進出など)により、西ヨーロッパとより近く接触するようになったが、9世紀に入って侵略などを活発化させた。

後の研究の進展により、ヴァイキングは「その時代にスカンディナヴィア半島、バルト海沿岸に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。そういった観点からは、ノルマン人とも呼ばれる。中世ヨーロッパの歴史に大きな影響を残した。西洋生活様式と思想は、個人主義がヴァイキングのイデオロギーに影響を受ける。

ヴァイキングは海賊・交易・植民を繰り返す略奪経済を生業としていたのではなく、ノルウェーの考古学者であるヘイエルダールが述べたように、故地においては農民であり漁民であった。

また、ヴァイキングたちの収益の大部分が交易によるものだったと言われている。この事実から、ヴァイキングたちにとっても航海の主たる目的は交易であり、略奪の方がむしろ例外的なものだったと考えられる。金になるブリテン諸島、イベリア半島、イタリア半島、バルカン半島、ヨーロッパロシア、スカンディナヴィア半島、北アフリカ、西アジアとの交易路。例えばヴァリャーグからギリシャへの道でコンスタンティノープルとの貿易、ヴァイキングの通商路である。

ヴェストラ・イェータランド県

ヴェストラ・イェータランド県

Västra Götalands län

ヴェストラ・イェータランド県(Västra Götalands län)とは、スウェーデンの県の一つで略号はO。スウェーデン西部に位置し、北西県境はノルウェーとの国境。北東部でスウェーデン最大の湖ヴェーネルン湖の南半分を抱え込み、東部ではスウェーデン第二の湖ヴェッテルン湖、西部ではカテガット海峡(Kattegatt)に面している。カテガット海峡の対岸はデンマークのユトランド半島の北端である。県庁所在地はスウェーデン第二の都市ヨーテボリ(Göteborg)を擁するヨーテボリ市。面積は2万3956平方キロメートルで、2005年現在の人口は152万1895人。人口は首都ストックホルムのあるストックホルム県に次いで、二番目に多い。

ヴェストラ・イェータランド県は1998年1月1日にヨーテボリ・ブーヒュース県 (Göteborgs och Bohus län)、 エルヴスボリ県 (Älvsborgs län)、スカラボリ県 (Skaraborgs län)の3県が合併して誕生した、比較的新しい自治体である。県下の市の数(49市)はスウェーデン国内最多である。

県下には国立のイェーテボリ大学(Göteborgs universitet)を筆頭に、シャルメシュ工科大学(Chalmers tekniska högskola; 私立)、ボロース大学(Högskolan i Borås; 国立)、ショーヴデ大学(Högskolan i Skövde; 国立)、ヴェスト大学(Högskolan Väst; 国立)の5大学がキャンパスを置いている。

半島

半島(はんとう)とは、3方位が水(海・川・湖など)に接している陸地のこと。「半島」とはラテン語のパエニンスラ(ラテン語: paeninsula・「ほぼ、半ば」を意味するpaeneと「島」を意味するinsulaの2語による造語=「ほぼ島のようなもの」)を翻訳したもの。

南デンマーク地域

南デンマーク地域

Region Syddanmark

南デンマーク地域(Region Syddanmark)は、デンマークの地方行政区画である5つの地域(region)の一つ。2007年1月1日に県の再編に伴い設置された。元のフュン県、リーベ県、セナーユラン県、ヴァイレ県の一部を統合・再編した地域である。

地理的にはデンマーク南西部に位置し、ユトランド半島南部、フュン島、ランゲラン島、アルス島、エールー島、トーシンエ島などからなる。

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