マルタ騎士団

ロドス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会
Sovrano Militare Ordine Ospedaliero di San Giovanni di Gerusalemme di Rhodi e di Malta
マルタ騎士団の国旗
Coat of arms of the Sovereign Military Order of Malta (variant)
国旗 国章
国の標語:Tuitio Fidei et Obsequium Pauperumラテン語
国歌:Ave Crux Alba
マルタ騎士団の位置
公用語 イタリア語
首都 イタリアローマ・コンドッティ通り68(マルタ宮殿
最大の都市 なし(領土を持っていない)
政府
騎士団総長 ジャコモ・ダッラ・トーレ・テンピオ・デ・サンギネット
首相 Jean-Pierre Mazery
面積
総計 0.012km2N/A位)マルタ宮殿の面積
水面積率 不明
人口
総計(2013年 13,500人(192位
人口密度 xxx人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxxScudo,tari,grani
GDP (MER)
合計(xxxx年 xxx,xxxドル(???位
GDP (PPP)
合計(xxxx年xxx,xxxドル(???位
1人あたり xxxドル
主権実体

無領土化
エルサレムにて
1113年2月15日
1798年
通貨 Scudo,tari,grani (???)
時間帯 UTC +1(DST:不明)
ISO 3166-1 不明
ccTLD なし
国際電話番号 領土を持たない
領土を持たない「主権実体」
マルタ騎士団の位置

ロドス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会(ロドスおよびマルタにおけるエルサレムのせいヨハネびょういんどくりつきししゅうどうかい、: Sovrano Militare Ordine Ospedaliero di San Giovanni di Gerusalemme di Rhodi e di Malta)、通称マルタ騎士団(マルタきしだん)は、キリスト教カトリック騎士修道会である。現在は国家ではないが、かつて領土を有していた経緯から「主権実体」として承認している国々がある。

軍事組織としての意味合いは既に失われて久しいが、医療団体としての活動はあり、イタリア共和国軍の軍医部隊としても運用されている。

概説

12世紀十字軍時代のパレスチナに発祥した聖ヨハネ騎士団が現在まで存続したものであり、ロドス島及びマルタ島における旧来の領土を喪失しているため国土を有さないが、主権実体 (sovereign entity) として承認外交関係を有する国が約94か国ある。国際連合にオブザーバーとしても参加している。団(修道会)事務局はイタリアローマ・コンドッティ通り68(マルタ宮殿)に置かれており、建物内はイタリア当局から治外法権が認められている。

医療などの慈善活動を行っており、独自のコイン切手を発行している。

Malteserkreuz

紋章

Blason Ordre Malte 3D

団章

歴史

第1回十字軍の後、1100年ごろ、巡礼保護を目的としてエルサレムで設立された。正式名称から明らかなように病院を持ち、ことに病気になった巡礼者の保護に務めた。十字軍勢力がパレスチナから追われた後はロドス島を本拠とし、聖地巡礼をするキリスト教徒の重要な経由地の守護者、ムスリム(イスラム教徒)に対する聖戦の実行者として活躍したが、1522年オスマン帝国スレイマン1世によりロドス島は陥落。本拠をマルタ島に移して、マルタ騎士団と呼ばれるようになった。

1798年ナポレオン・ボナパルトの侵攻によりマルタ島を奪われた。総長がオーストリアトリエステに逃れ、抗議のため大総長の地位をパーヴェル1世に譲った。騎士団の総長 (Principe e Gran Maestro) は、カトリック教会の修道会の総長であり、伝統的に枢機卿の任命を受けている[1]

騎士団には飛び地があった。バイエルン選帝侯領カール・テオドールが、自身の非嫡出子などを扶養する目的で、1773年に廃止されたイエズス会の財産を基礎に、マルタ騎士団バイエルン支部をつくっていた。後継のマックス・ヨーゼフらは公序良俗に反するとして支部を廃止させようとした。しかしオーストリアとナポレオンの板ばさみに遭い、ロシアの支援がほしくなった。バイエルンとパーヴェルは姻戚であったが、パーヴェルが怒りを露にしたので支部の廃止をあきらめた。1799年、バイエルンとロシアの間にガッチナ条約が結ばれた。これによりバイエルンは対仏大同盟に新しく兵士2万を供出することになり、またロシアの仲介でイギリスから補助金が出ることになった。

対外関係

Diplomatic relations of the Sovereign Military Order of Malta
  外交関係
  その他の関係

マルタ騎士団は国際連合加盟国の107か国と外交関係を持ち、在外公館を設置している。また、5か国と公的な関係を、パレスチナと特命全権大使レベルの関係をそれぞれ有している[2]

いわゆるキリスト教文化圏の国々が多い。その中で主要国はイタリアロシアスペインがある。一方で、アメリカ合衆国オーストラリアなどは承認していない。また、国際連合では「国連総会オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体 (entity) あるいは国際組織」として扱っており、「加盟国」とも「非加盟国」とも異なる立場である。

アマチュア無線の世界では、マルタ騎士団は国籍符号「1A」を用いており、たとえばクラブ局(局名:1A0KM―Knights of Maltaの略)が存在している。この「1A」は、国際電気通信連合 (ITU) がマルタ騎士団に割り当てたものではなく、アマチュア無線のみの独自の規定である。同様な例は、一部の領有権紛争対象地などの"帰属地未定区域"にも見受けられる。

統治機構

騎士団は、憲章に基づき、大評議会、次の役職が置かれている。

  • 総長 (Gran Maestro) は、国務評議会 (Consiglio Compito di Stato) で選挙された終身職である。総長は、伝統的に大公 (Principe) の称号をおび、また伝統的に騎士団修道会の総長としてローマ教皇から枢機卿に親任される。
  • 事務総監 (Gran Commendatore) は、事務をつかさどる。
  • 外務総監 (Gran Cancelliere) は、外交に関する事項をつかさどる。
  • 医務総監 (Grande Ospedaliere) は、保健衛生、民生及び人道援助に関する事項をつかさどる。
  • 財務総監 (Ricevitore del Comun Tesoro) は、財政及び予算に関する事項をつかさどる。
Interior Palazzo di Malta (Roma)
マルタ宮殿

憲章に基づく会議体はこれらのものがある。

  • 国務評議会 (Consiglio Compìto di Stato)
  • 大評議会 (Capitolo Generale)
  • 政務評議会 (Sovrano Consiglio)
  • 管理評議会 (Consiglio del Governo)
  • 監事会 (Camera dei Conti)
  • 司法評議会 (Consulta Giuridica)

関係者

脚注

  1. ^ なお、枢機卿のほとんどが聖職者である現代では、あくまで名誉的なものである。
  2. ^ Bilateral relations Order of Malta

関連項目

外部リンク

トリポリ

トリポリ(Tripoli)は、リビアの首都。リビアの北西部に位置し、地中海に面した港町である。2014年の人口は約112.6万人で、リビア最大の都市である。

都市名はギリシア語で「3つの都市」を意味する Tripolis に由来し、同語源で同名の都市にレバノンのトリポリやギリシャのトリポリがある。

バイエルン王国

バイエルン王国

Königreich Bayern

国歌 : バイエルン賛歌

バイエルン王国(バイエルンおうこく、ドイツ語: Königreich Bayern)は、バイエルン公国を起源として、19世紀初めから20世紀のドイツ革命まで存在したドイツ南部の王国。ミュンヘンを首都とし、ヴィッテルスバッハ家によって治められた。

バレッタ

バレッタ(Valletta)は、マルタ共和国の首都。ヴァレッタとも表記される。マルタ語ではイル・ベルト(Il-Belt 「都市」の意味)と呼ばれる。人口6,675人(2013年3月現在)。マルタ島東部に位置し、港を見下ろすシベラスの丘の上にある。ホスピタル騎士団 (Knights Hospitaller) の時代以降の多くの建造物が残る。一部の地域では、バロック建築・マニエリスム建築・近代建築・新古典主義建築など多様な建築様式も見られる。第二次世界大戦では戦禍に巻き込まれ、多くの歴史的建造物が被害を受けた。1980年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

パーヴェル1世

パーヴェル1世(ロシア語: Павел I, ラテン文字転写: Pavel I(パーヴィェル・ピェールヴィイ)、パーヴェル・ペトロヴィチ・ロマノフ、ロシア語: Павел Петрович Романов, ラテン文字転写: Pavel Petrovich Romanov(パーヴィェル・ピトローヴィチュ・ラマーナフ))、1754年10月1日(ユリウス暦9月20日) - 1801年3月23日(ユリウス暦3月11日))は、ロマノフ朝第9代ロシア皇帝(在位:1796年11月17日 - 1801年3月23日)。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公・オルデンブルク伯としてはパウル(ドイツ語: Paul)。

母エカチェリーナ2世の崩御を受けてロシア皇帝に即位する。母帝との確執からエカチェリーナの政治を全否定する政治路線を採り、次第に廷臣の離反を生み、ついには1801年3月23日クーデターによって暗殺された。

現在に至るまで暴君、暗君の悪名が絶えない皇帝だが、暗殺により非業の死を遂げた結果、彼の治世や彼個人への悪評はもっぱら彼の反対派により綴られたものであることに注意が必要である。

マルタ

マルタ共和国

Repubblika ta' MaltaRepublic of Malta

国の標語:なし

国歌:L-Innu Malti(マルタ語)マルタ賛歌

マルタ共和国(マルタきょうわこく)、通称マルタは、南ヨーロッパの共和制国家。イギリス連邦および欧州連合(EU)の加盟国でもあり、公用語はマルタ語と英語、通貨はユーロ、首都はバレッタである。地中海中心部の小さな島国で、人口は約40万人。いわゆるミニ国家の一つ。

マルタの国旗

マルタの国旗は、赤・白の縦二色旗。1091年にシチリアを治めていたルッジェーロ1世(初代シチリア王の父)からこの二色を授かったとされるが、定かではない。

1964年9月21日の独立時に制定される際、第二次世界大戦中のマルタ国民の勇敢な行動に対してイギリスより贈られたジョージ・クロスがカントン部分に取り入れられた。

商船旗は全く違ったデザインで、赤地に白のマルタ十字(キリスト教の象徴であり、十字軍の紋章)が使われている。マルタ騎士団や聖ヨハネ騎士団の使っているものと同じである。

マルタの国章

マルタの国章(マルタのこくしょう)は、1988年10月28日に制定された。

盾は、国旗と同じデザインである。

マルタ包囲戦 (1565年)

マルタ包囲戦またはマルタ大包囲戦 (マルタ語: Assedju ta' Malta、スペイン語: Sitio de Malta、イタリア語: Assedio di Malta、フランス語: Siège de Malte)は、1565年にオスマン帝国がマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)が治める地中海のマルタ島へ行った包囲戦である。最終的にマルタ騎士団が包囲軍の撃退に成功した。

マルタ十字

マルタ十字(マルタじゅうじ)は、キリスト教の騎士修道会である聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団とも)の象徴とされる。元来は11世紀のイタリアの小共和国であるアマルフィの象徴であった。マルタ十字は4つのV形をした紋章がその底部で結合した形をしており、突き出た8つの角をもつ。この意匠は第1回十字軍の頃からある十字のシンボルに基づいたものである。

マルタ島

マルタ島(Malta)は、地中海の中央、マルタ共和国内の島であり、同国内で最も大きな島である。

1989年12月2日から12月3日にかけて米ソ首脳が会談し、米ソ冷戦の終結を宣言したマルタ会談が開催された。

レパントの海戦

レパントの海戦(レパントのかいせん)は、1571年10月7日に起こった、ギリシアのコリント湾口のレパント(Lepanto)沖での、オスマン帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍による海戦である。

スペイン王国は、支配下のジェノヴァやイタリアの諸都市、マルタ騎士団等から最大限の戦力を集めた。この海戦は西ヨーロッパ史において初めての大海戦でのオスマン軍に対する勝利であり、オスマン帝国の地中海での前進を防ぐのに役立った。レパントの海戦は、ガレーが主力を成す大海戦としては最後であることが知られている。

ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世

ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(Vittorio Emanuele III, 1869年11月11日 - 1947年12月28日)は、サヴォイア朝の第3代イタリア国王(在位:1900年 - 1946年)、初代エチオピア皇帝(在位:1936年 - 1943年)、初代アルバニア国王(在位:1939年 - 1943年)、初代モンテネグロ国王(在位:1941年 - 1943年)。軍事上の称号としては大元帥(1938年-1946年)を用いた。

儀礼称号にエルサレム王、キリキア・ アルメニア王、聖アヌンツィアータ騎士団総長、聖マウリッツィオ・ラザロ騎士団総長、ガーター騎士団団員、マルタ騎士団団員、金羊毛騎士団団員がある。

イタリア王国の君主として大権を揮い、46年間という長期間の在位を通じてサヴォイア家の歴代当主の中でも特筆すべき治世を遺した。第一次世界大戦、第二次世界大戦の双方で主要参戦国の国家指導者として影響を与え、後者に関してはファシズム運動を率いるベニート・ムッソリーニによる全体主義体制とも密接な協力関係を構築した。イタリア国王以外にエチオピア皇帝、アルバニア国王、モンテネグロ国王、クロアチア国王などの王位称号をサヴォイア家の権利とし、その版図を最も拡大したが、第二次世界大戦後の戦後処理において王政が廃止されてエジプト王国へ亡命した。

代議院 (マルタ)

代議院(だいぎいん、マルタ語: Karma tad-Deputati、英語: House of Representatives)は、マルタ共和国の一院制の立法府。

国土

国土(こくど)は、一国の国境線によってその範囲を示された領域。領土、領海を含む。戦争の敗北などにより、その一部を他国に分割、割譲することもある。また、その土地、あるいは島を最初に発見したのはどちらかということで、その帰属の行方が国際的な係争問題に発展しているケースも少なくない。

日本が承認していない国一覧

日本が承認していない国一覧(にほんがしょうにんしていないくにいちらん)は、1か国以上の国連加盟国から国家の承認を受けているが、日本国政府からは国家の承認を受けていない独立国または「主権実体」(マルタ騎士団)の一覧である。

本項目では「独立国」として、国の一覧に掲載された日本以外の205か国のうち、以下に該当する202か国を対象とする。国際連合に加盟した国である192か国

国連加盟国ではないが、国連加盟国から国際承認を得て、国連のオブザーバー資格を有する国である2か国

国連加盟国ではなく、国家の承認を得られる国が少ないが、モンテビデオ条約の要件に当てはまり事実上の独立国となっている7か国

元国連加盟国である1か国各節では、国家承認する国が多い順に独立国を掲載している。承認国数が同じ場合は五十音順に並べている。

国の一覧に掲載されているものの、一切の国連加盟国から国家承認を受けられていない3か国については、国際連合非加盟国のみが国家承認している地域、または国際社会から国家承認を一切受けていない地域を参照のこと。

特定の政治的実体が地域の実効支配を行うには至ってはいないものの、国家としての独立運動を行っている地域については、独立主張のある地域一覧を参照のこと。

統治機構

統治機構(とうちきこう、英語: state, authority)とは、国家を統治する仕組み、組織、機関のことをいう。中央政府を指して統治機構と呼ぶこともある。なお、統治する側を統治者、統治される側を被治者という。

聖ヨハネ騎士団

聖ヨハネ騎士団(せいヨハネきしだん)は、11世紀に起源を持つ宗教騎士団。テンプル騎士団、ドイツ騎士団と共に、中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つに数えられる。

本来は聖地巡礼に訪れたキリスト教徒の保護を任務としたが、聖地防衛の主力として活躍した。ホスピタル騎士団(Knights Hospitaller)ともいい、本拠地を移すに従ってロドス騎士団、マルタ騎士団とも呼ばれるようになった。現在の正式名称は「ロドスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」(ラテン語: Supremus Ordo Militaris Hospitalis Sancti Ioannis Hierosolymitani Rhodius et Melitensis、イタリア語: Cavalieri dell’Ordine dell’Ospedale di San Giovanni di Gerusalemme)である。

騎士

騎士(きし)は、騎乗して戦う者を指す。

ヨーロッパにおける騎士とは、主に中世において騎馬で戦う者に与えられた名誉的称号、およびそれから派生した(必ずしも騎兵、騎乗戦士ではない)階級を指す。称号としての騎士を騎士号という。

日本においては江戸時代、馬に乗り「御目見」の資格を持つ武士の称として用いられ、主に徒士(歩兵)との比較語として用いられた。以下、主として前者のヨーロッパの騎士について叙述する。近代以降の栄典(勲章)としての騎士については、ナイトを参照のこと。

騎士修道会

騎士修道会(きししゅうどうかい)は、十字軍時代に、聖地エルサレムの防衛とキリスト教巡礼者の保護・支援を目的として創設された中世のローマ・カトリックの修道会のことである。一般には「○○騎士団」と呼ばれることから誤解を受けやすいが、あくまで修道会の一形態であり、その成員の公的身分は修道誓願を立てた修道士であって騎士ではないため、「戦う修道士」と呼ばれた。後にはイベリア半島と東ヨーロッパでも異教徒との戦いのために活動した。

1118年に創設され1128年に公認されたテンプル騎士団を端緒とし、騎士であり修道士である会員、キリスト教の教会を守護するための戦士と、清貧を旨とする宗教的に優れた人格をともに実現することを目標とする。後には、聖地における巡礼者の救護を目的として設立された聖ヨハネ病院修道会とドイツ人の聖マリア病院修道会も騎士修道会へと発展し、それぞれ聖ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団と呼ばれるようになった。

テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団は西ヨーロッパの各地に寄進によって数多くの所領を持ち、豊富な財力を背景にパレスチナにおけるムスリムとの戦いに従事した。13世紀末にシリア地方における十字軍の領土が完全に失われると、テンプル騎士団はフランス王権の忌避に遭い解散させられるが、聖ヨハネ騎士団はロドス島に移ってムスリムとの戦いを続けた。

一方、1198年に創立されたドイツ騎士団は聖地での軍事的役割を期待されず、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の勅許を獲得してバルト海南岸のプロイセンとリヴォニアに残る異教徒を十字軍の名目で征服する特権を与えられた。ドイツ騎士団はラトビアのキリスト教化を行っていたリヴォニア帯剣騎士団も吸収し、バルト海南岸に騎士団国家(ドイツ騎士団国)を築き上げる。しかし、ドイツ騎士団はポーランド王国と対立して1410年にタンネンベルクの戦いに敗れて衰え、1525年に騎士修道会総長がルター派に改宗して世俗の領邦のプロイセン公国となった。

聖ヨハネ騎士団のみが主権をもった騎士修道会として存続し、ロドス島からマルタ島を経てローマに移ってマルタ騎士団と呼ばれている。

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