ブリトン人

ブリトン人Britons, Brythons)は、前ローマ時代ブリテン島に定住していたケルト系の土着民族である。単に「Briton」というと近代英国民のことを指すので学術上、この民族集団を指すときは「ブリテン諸部族(British tribes)」、「古代ブリトン人(ancient Britons)」、または「ブリトン民族(ethnic Britons)」とも呼ばれる(このような書き分けはケルト系語族の区分け、ブリタニック語ゲール語の違いを語る時に用いられる)。

なおブリソン(Brython)という言葉はウェールズ語からの借用で、民族言語学上のブリトン(Briton)と区別するための単語である。

定義

当時のブリテン島に住む者みながブリトン諸語の話者であったかどうかは分からない。かなり多くの学者が未知の言語であるピクト語ゲール語だと言っているが、ローマ後期まではピクト人は単独に区別された部族(ちょうどブリタニック語族の中でのダル・リアータのように)として考えられていた。このピクト人文化の特色、例えば彫刻、陶器、石碑がブリトン人の特徴と異なるためブリトン人の定義としてピクト人は除かれている。

言語

ブリトン語は後世まで生き延び、ウェールズ語、ブルトン語コーンウォール語の基となっている。また現在では絶えてしまったカンブリア語の祖語でもある。

アングロ・サクソン人

アングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。このようにドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロサクソン人と呼ぶことは原則ない。ただし、ザクセン王国は20世紀初頭までドイツ帝国内に存続しており、現在も州名などに残っているため、ドイツの地域住民としてのザクセン人(サクソン人)という名称は今も用いられる。

アーサー王

アーサー王(英語: King Arthur)は、5世紀後半から6世紀初めのブリトン人の君主。

イングランド人

イングランド人(イングランドじん、英語:English people 古英語:Englisc)は、イングランドを起源とし、英語を主な母語とする民族のこと。またはイングランド区域内で出生した連合王国(イギリス)の国籍を有する住民(この場合は、イングランド以外にルーツを有する者を含む)のこと。イングランド人としての民族アイデンティティの起源は古く、最初期においてはAnglecynn(アングル人)と呼ばれていた。

イングランド人の最も大きな集団は、イギリスの構成国(イギリスのカントリー)のひとつであるイングランドに居住している。この集団のうち、近世以前からこの地に定着していた人々の末裔は、ブリトン人、ローマ・ブリトン人、アングロ・サクソン人、ヴァイキング、ノルマン人など、イングランドに当たる地域に定住していた近縁の民族集団との混血であるといわれている。2013年に発表された現代ヨーロッパの遺伝学的な研究によれば、現代ヨーロッパ人の遺伝子構造は、約7500年前に移動して来た最初の農耕民やこれより古い時代の狩猟採集民ではなく、新石器時代中期の紀元前4500年頃に定着したとされている。

より近年のイングランドへの移住者には、グレートブリテン島・アイルランド島をはじめ様々な地域の民族がおり、これらの大部分はウェールズ・スコットランド・アイルランド共和国・イギリス連邦諸国である。これらの移住者には、イギリス人・イングランド人としてのアイデンティティを持つものもいれば、二重もしくは外国系のアイデンティティを持つものもいる。

グレートブリテン島

グレートブリテン島(グレートブリテンとう、英: Great Britain、羅: Britannia Maior)は、北大西洋に位置する島で、アイルランド島、マン島などとともにブリテン諸島を構成する。ヨーロッパ大陸からみるとドーバー海峡を挟んで北西の方向にあたり、ヨーロッパ地域の一部である。面積は209,331km2で、世界で9番目に大きい島である(島の一覧参照)。グレートブリテン島は本州より少し小さいです。イギリスの国土の中心的な島で、同国の首都ロンドンをはじめとする多くの大都市を有する。

グレートブリテン島は、政治的に見ると、「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」の構成要素であるイングランド、スコットランド、ウェールズの3つの「国(カントリー)」からなる。

ケルト神話

ケルト神話(ケルトしんわ、英: Celtic mythology)は、ケルトの神々に関する神話であり、実質的に鉄器時代のケルト民族の宗教・伝承体系を指す。

他の鉄器時代のヨーロッパの民族と同じく、初期のケルト人は多神教の神話・宗教構造を持っていた。ケルト神話は古代ローマと密接な接触を持ったケルト民族、たとえばガリア人やケルトイベリア人などの間では、ローマ帝国による征服とキリスト教への改宗のため生き残ることができず、かれらの神話はほぼローマやキリスト教側の同時代史料を通じてのみ今に伝えられている。他方で政治的、言語的アイデンティティを維持することができた民族(ゲール人、ピクト人、大ブリテン島とアイルランドのブリトン人)は祖先の神話の名残りを今に残すことができたが、文字に書き記されたのは中世に入ってからであった。

スコットランド人

スコットランド人(スコットランドじん、英: Scottish people、スコットランド・ゲール語: Albannaich、スコットランド語: Scots fowk)は、スコットランド国民、またはスコットランドを父祖の土地とする民族のこと。単にスコッツ(Scots)ともいう。歴史的に彼らはピクト人とゲール人の融合から生まれ、南を接していたブリトン人を組み込むだけでなく、アングロ・サクソン人やノース人のような侵入してきたゲルマン系の諸族を取り込んでいった。

現代的な用法では、スコットランド人またはスコッツは、言語、文化、家族の先祖または遺伝的起源がスコットランド内にある者を指すため使われる。ラテン語のScottiは元々5世紀に特定に使用された名称で、アイルランドに住むゴイデリック人を指していた。しかし時には古めかしく軽蔑的な意味合いから、Scotchという名称もスコットランド人を指して使われる。しかしこの名称は現在では主としてスコットランドの外でしか用いられていない。

スコットランド国外の多くの国々にも、スコットランド系の人々がいる。ハイランド・クリアランス (Highland Clearances) やローランド・クリアランスの影響によるものや、大英帝国にスコットランドが参加したことによる移民、そして後期には産業の衰退と失業を理由として、世界中にスコットランド系の人々が見られるのである。スコットランド人の大集団は、南北アメリカ大陸、オーストラリア、ニュージーランドなど新大陸に移住した。カナダでは高い割合でスコットランド人の存在感がある。アメリカ合衆国についでカナダでは、スコットランド人を先祖に持つ人々が2番目に大きな人口を持っている。彼らは自らのスコットランドの言語と文化を引き継いでいる。

スコットランドはその歴史の中で、異なる期間に人の移住や定住を経験している。ダルリアダ王国のゲール人、ピクト人、そしてブリトン人たちは、中世ヨーロッパの民族の多くと同じく独自の起源神話を持っていた。アングル人やサクソン人といったゲルマン民族は7世紀初頭に到来し、一方でノース人が8世紀以降スコットランドの多くの地域に定住した。デイヴィッド1世時代にあたる中世最盛期、フランス、イングランド、ネーデルラントからの移住者がいた。多くの有名なスコットランドの家名、ブルース家、ベイオール家、マレー家、ステュアート家はこの時代にスコットランドに到来した。

現在のスコットランドは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する国(イギリスのカントリー)の1つであり、スコットランドに住む人々の大半は国籍法において連合王国市民である。

トロイのブルータス

トロイのブルータス(Brutus ラテン語よみ:ブルートゥス、or Brut, Brute, ウェールズ語:Bryttys)は、トロイアの英雄アエネアスの伝説上の子孫で、中世のブリテン伝説では、ブリテン(Britain)の建国者、最初の王、名祖として有名だった。この伝説が最初に登場したのは、ネンニウス作とされる9世紀の歴史書『ブリトン人の歴史』だが、12世紀の年代学者ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』の記事が最も有名である。しかし、ブルータスのことはいかなる古典のテキストにも言及されておらず、歴史上の人物だとは考えられていない。

ドゥムノニア

ドゥムノニア(Dumnonia、ダムノニアまたはヅムノニアとも)は、七王国時代にイングランド西南部を支配していた王国。現在のデヴォン州、サマセット州の大部分、また可能性としてドーセット州の一部も支配しており、ローマ帝国の末裔ブリトン人の王国であった。西の境界線は分かっておらず、コーンウォール州が果たしてドゥムノニアの支配区域になっていたのかどうかは不明。

ブリソン諸語

ブリソン諸語(ブリソンしょご、英: Brythonic languages)、もしくはブリトン諸語(英: Brittonic languages、British languages)とは、島嶼ケルト語からの分岐語族の一つ。もう一方の分岐はゲール語。ブリソニック(Brythonic)の表記は、ウェールズのケルト学者ジョン・ライスによって、(アングロ・サクソン人やゲール人ではない)土着のブリトン人を意味するウェールズ語のブリソン(Brython)から名付けられた。ブリトニック(Brittonic)の表記は、ギリシャ人の著述家による、ブリテン諸島を指すPrettanicが起源である。およそ紀元600年以降に変更が加わったブリソン諸語を指してブリトン諸語(Brittonic)の用語を使う場合もある。

ブリタニア列王史

『ブリタニア列王史』(ブリタニアれつおうし、ブリタニア列王伝、Historia Regum Britanniae)は、1136年頃にジェフリー・オブ・モンマスがラテン語で書いたブリテン(グレートブリテン島)に関する偽史書。ホメーロスの『イーリアス』に登場するトロイア人たちの子孫がブリテン国家を建設するところから、7世紀のアングロ・サクソン人によるブリテン支配までの、2000年間のブリトン人王たちの生涯を年代順に物語っている。「アーサー王物語」など「ブリテンの話材」の核となっている。

歴史書としての独立した価値はない。ガイウス・ユリウス・カエサル率いる共和政ローマ軍によるブリタンニア侵攻などを描いた部分は、その時代の歴史で補強することも可能だが、ジェフリーの記録は甚だ不正確である。しかし、中世文学としての価値はある。レイア(リア王)と3人の娘たちの話のわかっている限りで最古のヴァージョンがこれに含まれ、また、非ウェールズ語圏にアーサー王伝説を紹介した。

ブリタンニア

ブリタンニア(ラテン語: Britannia)は、古代ローマが現在のイギリス南部に設置した属州の一つ。また属州の置かれた島(現在のグレートブリテン島)とその周辺の小群島をも指す。住民は主にケルト系ブリトン人で、属州化以降ローマ人やガリア人、ゲルマン人が主に兵士として渡来した。ローマの支配は40年から410年まで及び、現在のイングランド南部を中心にローマ化が進んだ。五賢帝の一人ハドリアヌスが北部からの蛮族の侵攻を食い止めるために築いたハドリアヌスの長城が有名である。

ブルターニュ

ブルターニュ (フランス語: Bretagne [bʁə.taɲ] ( 音声ファイル); ブルトン語: Breizh [brɛjs] ブレイス; ガロ語: Bertaèyn [bəʁ.taɛɲ])は、フランス北西部にある地域。ブルトン語を意識した際には、ブレーズ という名称も用いられる。かつてはブルターニュ王国、そしてブルターニュ公国という独立国だったが、1532年にフランスに併合され州となった。ブルターニュは6つあるケルト諸語圏の1つとみなされている。時には、現在のブルターニュ地域圏と区別する目的で「歴史的なブルターニュ」(Bretagne historique、ブルターニュ・イストリック)と呼ばれることもある。

ブルターニュは、フランス北西部、ヨーロッパ大陸の北西に突き出た半島にある。北はイギリス海峡、西はケルト海と大西洋、南をビスケー湾と接している。面積は34,023 km² (13,136 sq mi)。ブルターニュとみなされる県が5つある。西のフィニステール県、北のコート=ダルモール県、北東のイル=エ=ヴィレーヌ県、南東のロワール=アトランティック県、ビスケー湾に面したモルビアン県である。

1956年、これらの県を集めフランスの地域圏がつくられた。ブルターニュ地域圏は、ブルターニュとみなされる5つの県のうち4つで構成される(歴史的なブルターニュの80%を占める)。一方でかつてのブルターニュの一部であるロワール=アトランティック県はペイ・ド・ラ・ロワール地域圏に含まれることになった。この地域圏編成は定期的に論争の種となっている。ブルターニュ王国、ブルターニュ公国、かつてのブルターニュ州、そして現在のブルターニュ地域圏は、ローマ時代にアルモリカとして知られた地方の西部分にあたる。

2010年の調査で、歴史的なブルターニュ人口は概算で4,475,295人であった。これらのうち71%の人口がブルターニュ地域圏で暮らしている。残り29%はロワール=アトランティック県に暮らす。2008年時点の都市圏はナント都市圏(854,807人)、レンヌ都市圏(654,478人)、ブレスト都市圏(311,735人)であった。

ブルトン人

ブルトン人 (フランス語: Bretons、ブルトン語: BreizhizまたはBretoned)は、フランス、ブルターニュ地方に主として暮らすケルト系民族のこと。ブルターニュ人、ブレイス人ともいう。彼らの先祖は4世紀から6世紀にかけてグレートブリテン島南西部から移住してきたブリトン人である。ブルターニュという地名は彼らにちなんでおり、一部の人々は今もケルト語系のブルトン語(最近はブレイス語と呼ばれる)を話している。フランス国外、カナダ(主としてケベック州)、アメリカ合衆国、イギリス、アイルランドにもブルトン人のコミュニティーがある。ブレイスとはブルトン語でブルターニュという意味である。

ベイドン山の戦い

ベイドン山の戦い(英: Battle of Mons Badonicus, the Battle of Badon Hill)は、ブリトン人(ローマ化したケルト人)がアングロ・サクソン人を打ち破った戦い。時期としては、6世紀前後と見られるが、史書によって記述が一定しないため、正確な年代は不明。また、ベイドン山がどこにあったかという事実さえよくわかっていない。9世紀ごろから、ケルト側の指揮官にアーサー王がいたとされるようになった。

マーシア王国

マーシア王国

Kingdom of MerciaMiercna RīceMerciorum regnum

マーシア王国の勢力圏(緑)の変遷

マーシア王国 (英語: Kingdom of Mercia) は、中世初期イングランドの七王国のひとつであるアングル人の王国。7世紀中ごろから9世紀初頭にかけてイングランド中部で強い勢力をもち、特に8世紀にはふたりのブレトワルダ(上王、大王)を輩出した。マーシアとは「辺境の人々」を意味する Mierce をラテン語化させた後世の呼び名である。

ヴォーティガン

ヴォーティガン(英: Vortigern)とは、5世紀、七王国時代のブリタンニア(現在のグレートブリテン島)に存在したと伝えられるブリトン人諸侯。ヴォーティガーンとも記載され、英語では Vortiger ないし Vortigen とも記載される。当時ブリトン人が支配していたイングランドと対峙するスコット人、ピクト人に抗するためにヨーロッパ大陸から傭兵としてサクソン人をケントの地に招き入れた人物として知られる。しかし彼の行動はサクソン人のイングランドへの移住、侵攻、先住者ブリトン人との抗争を招き、争いに敗れたブリトン人はウェールズの地に敗走する事となった。

彼の名は6世紀の修道士ギルダスの『ブリトン人の没落』の23章に Gurthrigern という名で、サクソン人をイングランドに招き入れた傲慢で見識のない王として書かれている。そして8世紀にはノーサンブリアの歴史家ベーダ・ヴェネラビリスが著書『イングランド教会史』に残しており、9世紀のウェールズに生きた修道士ネンニウスの『ブリトン人の歴史』にその存在が記されている。また七王国時代における重要な資料である『アングロサクソン年代記』の449年の項目にも言及され、七王国時代が終わった時代にも12世紀の歴史家モンマスのジェフリーが残した『ブリタニア列王史』にその名は残されている。

彼の存在は文学的にも注目され、前述の「ブリタニア列王史」にその名が見られた事からアーサー王伝説の登場人物の一人として取り上げられる事となり、さらに後年になってシェイクスピア外典の題材としても取り扱われている。サクソン人の侵攻を誘発した人物として古くから名が記されている事から歴史の流れにおいて彼の役割をした人物は存在すると考えられているが、史的人物としてのヴォーティガンの実在性は、はっきりとしていない。

七王国

アングロサクソン七王国(しちおうこく、英語: Heptarchy、ヘプターキー)とは、中世初期にグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が同島南部から中部にかけての地域に建国した7つの王国のこと。この時代をまた「七王国時代」とも呼ぶ。「ヘプターキー」という言葉は古代ギリシア語の数詞で「7」を指す「ヘプタ(ἑπτά)」と「国」の「アーキー(ἀρχή)」を足した造語である。最初にこの語を記したのは12世紀の史家ヘンリー・オブ・ハンティングドンであり、16世紀には用語として定着した。

これらの王国が覇を競った時代は、ホノリウス帝がブリタンニアを放棄してから(409年、End of Roman rule in Britain)、ウェセックスのエグバート王がカレドニアを除くブリテン島を統一するまで(825年、エランダンの戦い)であると考えられている。実際にアングロ・サクソン人が建国した王国は7つのみではなく、多数の群小のアングロ・サクソン人および先住のブリトン人の小国家群とともに林立したが、次第にその中で有力な国家が周囲の小国を併呑して覇権を広げていった。7つという王国の数は、これらの覇権を広げた有力な国を、後世7つの大国に代表させたものである。この王国群の中から後のイングランドが形成され、その領土は「アングル人の土地」という意味で「イングランド」と呼ばれることとなる。

白い竜 (ウェールズの伝承)

白い竜(しろいりゅう、英: White dragon、羅: albus draco)は、アーサー王伝説等に登場する白いドラゴンである。

サクソン人やアングル人は、ローマ軍の軍旗のドラゴンを見てこれを真似し、時折、これを彼らの軍旗として用いた。当時のゲルマン人にとって白いドラゴンは民族的象徴であった。ローマ軍撤退によって生じた軍事力不在のブリテン島にサクソン人やアングル人が渡来した。そこでブリトン人とサクソン人の戦いが始まった。赤い竜と白い竜はその民族の争いの象徴でもあった。

キャロル・ローズは著書『世界の怪物・神獣事典』で、ウェールズの伝説に登場する赤白2頭のドラゴンのうち、赤い方をウェールズ語で Y Ddraig Goch (ア・ドライグ・ゴッホ)、白い方を Gwiber (英語読みでグウィバー)と呼んでいるが、『ブリトン人の歴史』では、赤白いずれのドラゴンもワーム(羅: vermis)にしてドラゴン(羅: draco)である。なお、ウェールズ語の gwiber (グイベル)は、現在はクサリヘビ、特にヨーロッパクサリヘビ(ブリテン島に生息する唯一の毒蛇)を指すが、かつてはウェールズの民間伝承におけるワイバーンのような有翼の蛇を意味する言葉でもあった。

赤い竜 (ウェールズの伝承)

赤い竜(あかいりゅう)、ウェールズ語で Y Ddraig Goch(IPA:[ə ðraiɡ ɡoːχ] ア・ズライグ・ゴーッホ)は、ウェールズの象徴たるドラゴン(ウェールズ語でドライグ draig)のことである。ウェールズの国旗にも描かれている。英語ではウェルシュ・ドラゴン(Welsh Dragon ウェールズのドラゴン)とも呼ばれる。

ケルト
3匹の犬を描いたケルトの文様

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