ドゥニ・ディドロ

ドゥニ・ディドロ(Denis Diderot、1713年10月5日 - 1784年7月31日)は、フランス哲学者美術批評家作家。主に美学芸術の研究で知られる。18世紀啓蒙思想時代にあって、ジャン・ル・ロン・ダランベールとともに百科全書を編纂した、いわゆる百科全書派の中心人物であり、多様な哲学者と交流した。徹底した唯物論者であり、神について初期は理神論の立場に立ったが後に無神論へ転向した。ポール=アンリ・ティリ・ドルバックなどとともに、近代の哲学者としては最も早い時期に無神論を唱えた思想家の一人とされる。書物によっては「ドニ・ディドロ」と仮名転写される場合もある。

ドゥニ・ディドロ
Denis Diderot
Louis-Michel van Loo 001
ディドロ
生誕 1713年10月5日
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国ラングル
死没 1784年7月31日(70歳没)
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国パリ
時代 18世紀の哲学
地域 西洋哲学
学派 啓蒙主義百科全書派理神論から無神論へ転向
研究分野 自然哲学美学科学文学美術芸術
主な概念 唯物論一元論身体、「」の諸観念
署名
Denis Diderot signature

略歴

フランス ラングル生まれ。パリ大学で神学と哲学を学んだ。思想的には、初期の理神論から唯物論無神論に進んでいる。『盲人に関する手紙(盲人書簡)』(1749年刊)の唯物論的な主張のため投獄されたこともある。

英語に堪能で、ル・ブルトン書店から、イギリスで刊行し成功したチェインバース百科事典のフランス語版を依頼されたことが、18世紀を代表する出版物『百科全書』の編纂・刊行につながった。事業としての『百科全書』が狙っていた主要な対象は新興のブルジョワ階級であり、その中心は当時の先端の技術や科学思想を紹介した項目だが、それらにまじえながら、社会・宗教・哲学等の批判を行ったため、『百科全書』を刊行すること自体が宗教界や特権階級から危険視された。ディドロは、たびたびの出版弾圧、執筆者の離散を跳ね返し、『百科全書』(1751年-1772年)の完結という大事業を成し遂げた(『百科全書』はフランス革命(1789-1794年)を思想的に準備したともいわれる)。

1751年、プロイセン科学アカデミーの外国会員となる。

ロシアの女帝エカチェリーナ2世と個人的に交流した。1765年、娘の結婚資金を確保するため、ディドロは蔵書をエカチェリーナ2世に売り渡したが、その契約は、ディドロの生存中はそれら蔵書を手元において自由に利用できるという条件付きであり、実際にはエカチェリーナからの資金援助という性格をもつ。そうした援助にむくいるため、『百科全書』完結後の1773年、ロシアを訪問した。

パリ第7大学にその名が残る。

美学

項目「美」

ディドロは1752年に刊行された百科全書第二巻のなかに収録された項目「」を執筆した。そこでの彼のテーマは美の根拠についてである。

彼はこの根拠を求めるために、美を定義するのに必要な性質は何かを探る。彼はまず、秩序、関係、釣り合い、配列、対称、適合、不適合がどのような美の中にも見つけることができるとする。それはそれらの概念が存在、数、横、高さ、およびその他異議をさしはさむ余地のない諸観念と同じ起源から生じるからである[1]

しかし、より一般的に、美しいと名づけるすべての存在に共通な性質のうち、美という言葉を記号にしうるものは何だろうかと、疑問を投げかける。それは、美がそれによって始まり、増大し、無限に変化し、減少し、消滅する性質だという。そして、これらの結果を引き起こしうるのは、関係の観念をおいてほかにないという[2]。ここで彼は美の流動性や多様性を示唆している。例えば、美しい人の体重が5キロ増え、その人の顔に脂肪が溜まり、若干ふくれっ面になると、その人の顔は怒りを想起させ、既に美しい人ではなくなるかもしれない、という流動的な側面が美にはある。

また、彼は美の多様性についての証拠として、雷雨、暴風雨、天地創造以前の混沌の絵を挙げて、ある種の存在は秩序や対称の明白な外観とすら無縁だと述べている。したがって、これらの存在のすべてが一致するただひとつの共通な性質は、関係の観念であるという[3]。美の多様性においては、上で示した「美しい人」がたとえふくれっ面になったとしても、それは怒りではなく健康を想起させ、その人はさらに美しくなるかもしれないということがいえる。

美しいという語をつくりださせたのは、関係の知覚であり、その関係と人物の精神との多様性に応じて、きれい、美しい、魅惑的な、偉大な、崇高な、神聖な、その他、肉体と精神とにかかわる無数の語がつくられた。これらが美のニュアンスである[4]

さらに、関係の観念であるところの美が往々にして感情の問題にされてしまうことに触れて、こう述べている。「確定しにくいけれども認めやすく、そしてその知覚に快感がともなうために、美は理性よりもむしろ感情の問題だと憶測されたのである。ごく小さな子供の頃から、ある原理がわれわれに知られていて、その原理が習慣的に、外部の事物に対して、気軽に、すみやかに適用されるような場合には、いつも必ず、われわれは感情によって判断を下していると思うだろう」[5]

美に対する意見の相違のことごとくは、自然の所産と芸術作品における、知覚された関係の多様性の結果として生じる[6]。それならば一体、自然のうちで、その美しさに関して人々が完全に意見の一致をみるのはなんであろうか[7]。この問いに対して彼はこう答えている。「同一対象のなかにまったく同じ関係を知覚し、それと同じ程度に美しいと判断する人は、恐らくこの地上に二人といないだろう。だが、いかなる種類の関係も感じたことのない人が一人でもいるとすれば、彼は完全なばか者だろう」[8]

美術批評

グリムの『文藝通信』に断続的に掲載されたサロンの批評(「サロン評」)によって近代的美術批評の祖ともされる。その批評論は『絵画論』(Essai sur la peinture, 1766年刊)に結実した。

ディドロの美術論はディドロの『絵画論』とその他美術に関する著作を加えた『絵画について』(佐々木健一訳、岩波書店、2005年)に詳しい。

ディドロの時代は近代的な芸術概念の確立期に重なっていた。近代的な芸術概念とは、文学と造形美術(絵画、彫刻、建築)と音楽をひとまとまりのものとしてくくる考えのことである。近代的な芸術概念の核心は、絵画や彫刻を「頭の仕事」として格上げすることにあった。

ディドロと美術との関係が顕著に表れるのは、サロン展の批評を書き始めたころである。1759年を皮きりに、1781年まで9年分(59、61、63、65、67、69、71、75、81年)を書いている。サロン評が公表されたのは『文藝通信』というミニコミ誌だった。これを刊行していたのは、グリム(1723年-1807年)というパリ在住のドイツ人で、パリに定住して4年目の1753年から、或る人物のやっていたこの事業を引き継いだ。

ディドロの主要な著作のうち、サロン評と『絵画論』、更に『ダランベールの夢』と『ブガンヴィル航海記補遺』などが『文藝通信』に公表された。しかし、読者は極めて限られていて、最大でも15人ほどだった。ディドロは『絵画論』の刊行を『1765年のサロン』の末尾で予告して、1766年の『文藝通信』でそれは公表された。

『絵画論』は哲学的な絵画論であることを以て特徴としていた。彼は詩などを論じるために使われた修辞学的概念を切り捨て、絵画を純粋に絵画として論じた。

『絵画論』の最終章で彼はもう一度、項目「美」の主題だった美の根拠について論じている。彼は問う。「だが、もしも趣味が気まぐれなものであり、美については永遠の、不変の規則など存在しないのであれば、これらすべての原理にいかなる意味があるのか」[9]。彼は美を真や善と結びつけることによって、この問題を解決しようとする。彼はいう。「真、善、美は密接に結びあっている。最初の二つの質に何か稀で目覚ましい状況を加えてみたまえ。真は美となろう、善は美となるだろう」[10]。彼によれば趣味とは、「経験を重ねることによって、真や善がそれを美しくする状況ぐるみで容易に捉えられるようになり、それにすぐにそして強く感銘を受けるようになる、そのようにして身についた能力」[11]だった。

彼は絵画を美しくするためには、その対象である自然の構造もしくは秘密につうじることが不可欠であると考えた。そこで、彼の絵画論の課題は、自ずから自然法則をよく知るという課題と重なりあった[12]。この美と自然法則の照応は『絵画論』最終章の主題に直結している。そこで美は真と善に基礎づけられるが、ここで言う「自然法則」は真であるとともに善(特に有用性)の基盤となるものである。そして、この問題意識が、ディドロの美学的思索の展開においてひとつの中心的な主題をなしていたことに注意しておきたい、と佐々木健一は述べている[13]

著作

フランス本国では、全集は没後の1798年に刊行されている。

百科全書』に寄稿した項目

  • 『盲人書簡』吉村道夫・加藤美雄共訳 岩波文庫, 1949.
  • 『修道女』(1760年執筆)
    • 修道女の告白 吉氷清訳 二見書房, 1949. のち「シュザンヌの告白」
    • 修道女物語 佐藤文樹訳 弥生書房, 1957.
    • 修道女 秋田谷覚訳. 極光社, 1992.11.
  • 『ラモーの甥』(1761年執筆開始)
    • 本田喜代治訳 芝書店, 1935 のち岩波文庫.
    • 小場瀬卓三訳. 日本評論社, 1949. 世界古典文庫 のち角川文庫 
    • 本田喜代治・平岡昇訳 岩波文庫 改版1964
  • 『ダランベールの夢』(1769年執筆)
    • 杉捷夫訳 青木書店, 1939. 文化叢書
    • ダランベールの夢 他四篇 新村猛訳 岩波文庫 1958.
  • 『ブーガンヴィル航海記補遺』(1772年執筆)
    • ブーガンヴィル航海記補遺 他一篇 浜田泰佑訳 岩波文庫 1953.
    • 中川久定訳 世界の名著 29 中央公論社, 1970.
    • 山本淳一訳 ユートピア旅行記叢書 第11巻 岩波書店, 1997.5.
  • 『運命論者ジャックとその主人』(ロシア滞在中に執筆)
    • 小場瀬卓三訳 世界文学大系 第16 筑摩書房, 1960.
    • 王寺賢太,田口卓臣訳. 白水社, 2006.12.
  • 『哲学者セネカの生涯とその著作』(1778年刊)

などがある。没後に刊行された著作も多く、また小説の大半は実験的なもので、明確なストーリーをもたない。

  • 不謹慎な宝石 ヂィドロ 耽奇館主人訳. 国際文献刊行会,1929 
    • 不謹慎な宝石 デニス・ヂィデロ 小林季雄訳 操書房, 1948.
    • お喋りな宝石 新庄嘉章訳 世界風流文学全集 第5巻 河出書房, 1956.
  • 演劇論 小場瀬卓三訳. 弘文堂書房・世界文庫, 1940.  
  • 逆説 俳優について 小場瀬卓三訳. 白水社, 1941.
  • 自然の解釈に関する思索 小場瀬卓三訳. 創元社・哲学叢書, 1948.
  • ディドロ著作集 第4巻 八雲書店 1948. ラモーの甥(本田訳) ブールボンヌの二人の友(権守操一訳) 父親と子供たちと対話(河内清訳) 私の古い部屋に対する愛惜(武者小路実光訳) 父と私 彼と私(佐藤文樹訳)
    • 第9巻 文学 6 演劇論(小場瀬訳)
  • 哲学著作集(小場瀬・平岡・大賀正喜訳) 河出書房・世界大思想全集, 1959.
  • 美学論文集(小場瀬訳) 世界大思想全集 河出書房新社, 1960.
  • ある父親と子供たちとの対話,ブルボンヌの二人の友,これは物語ではない,世論の無定見について 小場瀬卓三訳 世界文学大系 第16 筑摩書房, 1960.
  • 哲学断想 他二篇 新村猛・大賀正喜訳 岩波文庫, 1961.
  • 百科全書 序論および代表項目 ディドロ、ダランベール編 桑原武夫訳編 岩波文庫, 1971
  • 絵画について 佐々木健一訳 岩波文庫, 2005.12
  • ディドロ著作集』全4巻、法政大学出版局1976年(新装版2013年)・1980年(同)・1989年2013年
    • 小場瀬卓三平岡昇監修(第1~3巻)、鷲見洋一・井田尚監修(第4巻)
    • ディドロ著作集 第1巻 (哲学 I)
      • 「哲学断想」、野沢協訳、「哲学断想 追補」
      • 「盲人に関する手紙」平岡昇訳、「盲人に関する手紙 補遺」
      • 「自然の解釈に関する思索」、小場瀬卓三訳
      • 「基本原理入門」、中川久定訳
      • 「ダランベールの夢」、杉捷夫訳
        • 「ダランベールとディドロとの対話」
        • 「ダランベールの夢」
        • 「対話のつづき」
      • 「物質と運動に関する哲学的諸原理」、小場瀬卓三訳
      • 「ブーガンヴィール旅行記補遺」、佐藤文樹訳
      • 「女性について」、原宏訳
      • 「哲学者とある元帥夫人との対話」、杉捷夫訳
      • 訳注
      • 解説、小場瀬卓三著
    • ディドロ著作集 第2巻 (哲学 II)
      • 「監修者のことば」、平岡昇著
      • 『百科全書』より
        • 「アグヌス・スキティクス」(スキティア仔羊草)、野沢協訳
        • 「折衷主義」(エクレクティスム)、大友浩訳
        • 「百科全書」、中山毅訳
        • 「ホッブズ哲学」、野沢協訳
        • 「人間」、野沢協訳
        • 「マールブランシュ哲学」、野沢協訳
        • 「マニ教」、野沢協訳
        • 「哲学者」、野沢協訳
        • 「ピュロン哲学」(懐疑哲学)、野沢協訳
        • 「スピノザ哲学」、野沢協訳
      • 「エルヴェシウス『人間論』の反駁」(抜粋)、野沢協訳
      • 「生理学要綱」(抜粋)、小場瀬卓三訳
      • 訳注
      • 解説、小場瀬卓三著
    • ディドロ著作集 第3巻 (政治・経済)
      • 『百科全書』より
        • 「政治的権威」、井上幸治訳
        • 「自然法」、井上幸治訳
        • 「権力」、安斎和雄訳
        • 「勢力〔国力〕」、安斎和雄訳
        • 「主権者」、安斎和雄訳
        • 「アルジャン〔銀・貨幣〕」、古賀英三郎訳
        • 「農業」古賀英三郎訳
        • 「技芸」、平田清明訳
      • 「君主の政治原理」、大津真作訳
      • 「出版業についての歴史的・政治的書簡」、原好男訳
      • 「ガリアニ師讃」、平田清明訳
      • 「エルヴェシウス反駁」、小井戸光彦訳
      • 「エカテリーナ二世との対談」、野沢協訳
      • 訳注
      • 解説、平岡昇/古賀英三郎ほか著
    • ディドロ著作集 第4巻(美学・美術 付・研究論集)
      • 「美の起源と本性についての哲学的探求」、小場瀬卓三・井田尚訳
      • 「リチャードソン頌」、小場瀬卓三・鷲見洋一訳
      • 「テレンティウス頌」、中川久定訳
      • 「ディドロとファルコネの往復書簡」(抄)、中川久定訳
      • 「絵画論断章」、青山昌文訳
      • 《研究論集》
        • 「ディドロはいかに読まれてきたか」、鷲見洋一著
        • 「ディドロの文体」、レオ・シュピッツァー著、井田尚訳
        • 「ディドロに関する五つの講義」(抄)、ハーバート・ディークマン著、田口卓臣
        • 「ディドロと神智論者たち」、ジャン・ファーブル著、橋本到訳
        • 「ディドロと他者の言葉」、ジャン・スタロバンスキー著、小関武史訳
        • 「『百科全書』から『ラモーの甥』ヘ」、ジャック・プルースト著、鷲見洋一訳
      • 解説

脚注

注釈

  1. ^ 項目「美」を中川久定が訳編。

出典

  1. ^ ディドロ、ダランベール編 『百科全書 序論および代表項目』 桑原武夫訳編、岩波書店、1971年、336頁[注釈 1]
  2. ^ 同上書、337頁。
  3. ^ 同上書、348頁。
  4. ^ 同上書、349頁。
  5. ^ 同上書、339頁。
  6. ^ 同上書、351頁。
  7. ^ 同上書、359頁。
  8. ^ 同上書、361頁。
  9. ^ ディドロ 『絵画について』 佐々木健一訳、岩波書店、2005年、134頁。
  10. ^ 同上書、134頁。
  11. ^ 同上書、137頁。
  12. ^ 同上書、239頁。
  13. ^ 同上書、222頁。

参考文献

  • ディドロ 『運命論者ジャックとその主人』 王寺賢太・田口卓臣訳、白水社、2006年、ISBN 4-560-02758-7。
  • ディドロ、ダランベール編 『百科全書 序論および代表項目』 桑原武夫訳編、岩波文庫、1971年。
  • ディドロ 『絵画について』 佐々木健一訳、岩波文庫、2005年。
  • 中川久定 『啓蒙の世紀の光のもとで ディドロとその周辺』 岩波書店、1994年。
  • 新村出 『広辞苑』 岩波書店、1998年、第五版 2008年、第六版、ISBN 978-4000801126。
  • 「特集 没後200年 ディドロ - 近代のディレンマ」1984年10月号『思想』No.724、岩波書店。
    J.プルースト・中川久定・鷲見洋一・市川慎一・木崎喜代治・津田内匠・海老沢敏
    鈴木峯子・小宮彰・大津真作・青山昌文・J.シュイエ・平岡昇、ディドロ関係文献目録
  • 大橋完太郎、『ディドロの唯物論』、法政大学出版局2011年

関連項目

  • 関係性の美学

外部リンク

1713年

1713年(1713 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。

1750年代

1750年代(せんななひゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1750年から1759年までの10年間を指す十年紀。

1784年

1784年(1784 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。

7月31日

7月31日(しちがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から212日目(閏年では213日目)にあたり、年末まであと153日ある。7月の最終日である。

イドラ

イドラ(羅: idola、ラテン語イドルム idolum の複数形)とは、人間の先入的謬見(偏見、先入観、誤りなど)を帰納法を用いて説いたもの。16世紀から17世紀にかけてのイギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(1561年-1626年)によって指摘されたもので、「偶像」「幻影」などと訳される。ラテン語で偶像を意味し、英語の「アイドル」の語源でもある。

ジャン・ル・ロン・ダランベール

ジャン・ル・ロン・ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert、1717年11月16日 - 1783年10月29日)は、18世紀フランスの哲学者、数学者、物理学者。ドゥニ・ディドロらと並び、百科全書派知識人の中心者。

ジャン=ジャック・ルソー

ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、作曲家。

ジュリア・クリステヴァ

ジュリア・クリステヴァ(ユリア・クリステヴァ、Julia Kristeva / Юлия Кръстева、1941年6月24日 - )は、ブルガリア出身のフランスの文学理論家で、著述家、哲学者。ユダヤ系。

1965年以降、パリに在住し、ここで活動している。1973年からパリ第7大学(ドゥニ・ディドロ)の教授を務め、現在は名誉教授。彼女の言語学や言語に関する著作は、文学論雑誌"Tel Quel"の共同編集者としての活動を通して、ポスト構造主義的な議論をその特徴としている。彼女は、取り分けフロイトやラカンの精神分析、ロシア・フォルマリズム(彼女はその中で仲介者的な役割を演じていて、それによりミハイル・バフチンのフランスの知的シーンへの紹介者となった)やヘーゲル主義から影響を受けている。研究活動と平行して、一連の小説も発表している。

既に1970年代初めからクリステヴァは、家父長社会の中での女性のアイデンティティの問題を取り上げてきた。その精神分析との思想的な親近性のため、フェミニストの文芸理論家の一部から非難を受けたこともある。それ以前には、その著作がジェンダー研究に多大な影響を及ぼしていた時期もあるが、当時、「フェミニスト的」という呼ばれ方を彼女は頑なに拒絶していた。

アラン・ソーカルらによって、数学・科学用語を不適切に使用した論文であるとの批判を受ける(→ソーカル事件参照)。

フィロゾーフ

フィロゾーフ (philosophe) は、フランス語で「哲学者」を意味する言葉であるが、特に18世紀の啓蒙時代において、啓蒙思想の担い手であった知識人を指す。実際に哲学者であった者は少なく、哲学のみならず、歴史、科学、政治、経済、社会問題などの多くの領域において、理性を主張して公的な活動をおこなった知識人たちがフィロゾーフと称された。彼らは、批判的な観点から、改善が必要な弱点や欠陥を探した。フィロゾーフたちは、「文芸共和国 (République des Lettres)」と称して、国境を越えて活動し、知識人たちの間で、自由に書籍なり、思想が交換される状態を目指した。フィロゾーフは、大部分が男性であったが、一部には女性もいた。

彼らは、進歩と寛容を強力に支持して、組織宗教に信を置かず、ほとんどが理神論者であり、封建制にも信を置いていなかった。彼らの多くは、ドゥニ・ディドロの『百科全書』に寄稿していた。フランス革命が暴力的段階に入った1793年以降になると、彼らの影響力は薄れていった。

フランス人の一覧

この一覧はフランス出身者、フランス国籍を持つ人物についての人名記事を名の50音順に配列したものである。ただし、分野別のフランス人の一覧記事に載っている人物を除く。

フランス文学

フランス文学(フランスぶんがく、フランス語: Littérature française)は、フランス国籍の作家もしくはフランス語によって書かれた文学作品の総体である。仏文学(ふつぶんがく)ともいう。その歴史は中世の古フランス語に始まり今日まで続いている。ベルギーや西アフリカ諸国などフランス国外のフランス語圏文学(fr:Littérature francophone)や、ブルトン語やオック語などフランス国内のフランス語以外による文学も存在する。

またそれらの作品や作家を研究する学問も指し、その研究者をフランス文学者(仏文学者)と呼ぶ。

プロイセン科学アカデミー

プロイセン科学アカデミー(ドイツ語: Preußische Akademie der Wissenschaften)は、1700年7月11日にベルリンで創設されたアカデミー。その4年前に創設されたベルリン芸術アカデミーと共に「ベルリン・アカデミー」とも呼ばれた。

ヴァンセンヌ城

ヴァンセンヌ城(Château de Vincennes)は、フランスのパリの東方、ヴァンセンヌにある城である。

ヴァンセンヌの森の北方にあり、14世紀から17世紀にわたるフランス王の城である。

ヴォルテール

ヴォルテール(Voltaire)こと、本名フランソワ=マリー・アルエ(François-Marie Arouet、1694年11月21日 - 1778年5月30日)は、フランスの哲学者、文学者、歴史家である。歴史的には、イギリスの哲学者であるジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する人物とされる。また、ドゥニ・ディドロやジャン・ル・ロン・ダランベールなどとともに百科全書派の学者の一人として活躍した。ボルテールと表記されることもある。

パリの公証人の子。姓は“アルーエ”とも表記される。Voltaireという名はペンネームのようなもので、彼の名のArouetをラテン語表記した"AROVET LI" のアナグラムの一種、「ヴォロンテール」(意地っぱり)という小さい頃からの渾名をもじった等、諸説ある。

一般意志

一般意志(いっぱんいし、フランス語:Volonté générale、英語:General will)とは、共同体(国家)の成員である人民が総体として持つとされる意志のこと。一般意思、普遍意志とも。18世紀のフランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーの政治思想の基本概念として知られる。

一般にはルソーの社会契約論の基礎理論として用いられ、特にここでいう総体の意志とは、個々の利害(特殊意志)からは離れた、公共益を達成するために人民が共有しているとする意志のことである。ただし、1762年の『社会契約論(Du Contrat Social ou Principes du droit politique)』より前に『政治経済論』(1755年)ですでに使用されていた言葉であり、意味合いは異なるが、もともとはドゥニ・ディドロが用いたものである。

世俗主義

世俗主義(せぞくしゅぎ、英: secularism)、または、俗権主義(ぞくけんしゅぎ) とは、ラテン語で「現世的」「世俗的」を意味する「サエクラリス」(羅: saecularis)に由来する語・概念であり、

国家の政権・政策や政府機関が、特定の宗教権威・権力(教権)に支配・左右されず、それらから独立した世俗権力(俗権)とその原則によって支配されていなければならないという主張・立場。あるいは宗教に特権的地位や財政上の優遇を与えないこと。政教分離原則。対義語は、聖職者主義(教権主義、英: clericalism)。

個人が宗教的規則や宗教教育から自由でいる権利、支配者による宗教の強制からの自由。信教の自由。

人の行動や決断が(宗教の影響を受けていない)事実や証拠に基づいてなされるべきだという主張。である。

数学科

この記事では、数学を学んだり研究することができる学科(英: Department of Mathematics)・学部 Faculty of Mathematics、や大学内の「校」(School)について解説する。

新庄嘉章

新庄 嘉章(しんじょう よしあきら、1904年11月10日 - 1997年8月26日)は、日本のフランス文学者である。日本芸術院会員。

百科全書派

百科全書派(ひゃっかぜんしょは)は、18世紀のフランスにおいて『百科全書』に執筆・協力した啓蒙思想家を指す。

他言語版

This page is based on a Wikipedia article written by authors (here).
Text is available under the CC BY-SA 3.0 license; additional terms may apply.
Images, videos and audio are available under their respective licenses.