スペイン黄金世紀

スペイン黄金世紀(スペインおうごんせいき、西: Siglo de Oro)とは、15世紀から17世紀にかけてのスペインの美術、音楽、文学隆盛の時期を指す。その時期は厳密にいつからいつまでと言うことはできないが、一般的に、その始まりは1492年レコンキスタの終結、およびコロンブス新世界への航海より早くはなく、フランススペイン・ハプスブルク家の間で結ばれたピレネー条約1659年)を挟んで、大作家ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカが死んだ1681年をその完全な終焉と見なしている。

Christ Carrying the Cross 1580
「十字架を担うキリスト」(エル・グレコ、1580年)
Las Meninas, by Diego Velázquez, from Prado in Google Earth
「女官たち」(ベラスケス、1656年)
Miguel cervantes de saavedra
ミゲル・デ・セルバンテス

美術

音楽

文学

関連項目

11月25日

11月25日(じゅういちがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から329日目(閏年では330日目)にあたり、年末まであと36日ある。

17世紀

17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。

ジル・ヴィセンテ (劇作家)

ジル・ヴィセンテ (Gil Vicente、1465年 - 1537年)は、ポルトガルの劇作家・詩人で、自作の劇を演じる俳優であり、ディレクターであった。ポルトガルの劇作の父と呼ばれている。彼が活躍した時代のポルトガルにはまだ劇場がなく、彼はポルトガル王マヌエル1世とジョアン3世の宮廷や、貴族の邸宅で劇を上演した。初期は宮廷の宗教行事で扱われる宗教劇が主であったが、のち世俗的なテーマに転換して当時のポルトガル社会を風刺する笑劇を多く書いた。晩年に異端審問が活発になると彼の作品は攻撃の対象となり、やがて彼の名声は衰えた。スペイン黄金世紀演劇の作家のひとりに数えられる。

スペイン・ハプスブルク朝

スペイン・ハプスブルク朝は、16世紀初めから17世紀末まで続いた、ハプスブルク家によるスペイン統治時代を指す。ハプスブルクのスペイン語名によりアブスブルゴ朝とも呼ばれる。

この時代、スペインはアメリカ大陸や太平洋(フィリピン、マリアナ諸島)に広大な植民地(ヌエバ・エスパーニャ)を有し、またヨーロッパにおいてもネーデルラント、フランシュ=コンテ、北イタリア(ミラノ公国)、南イタリア(ナポリ王国、シチリア王国、サルデーニャ)などを支配下に置いた。カルロス1世はまた神聖ローマ皇帝を兼ねた。1580年から1640年にかけてはポルトガル王も兼ねることで、イベリア半島全域を支配(イベリア連合)するだけでなく、ポルトガルが南米やアフリカ、アジア沿岸に持っていた植民地をも併せ持つことになった。

スペイン文学

スペイン文学(すぺいんぶんがく)とは、スペイン語で書かれた文学作品のうち、とくにスペインの作家のものをいう。

19世紀以降のイスパノアメリカ出身のスペイン語作品についてはラテン・アメリカ文学の項を参照のこと。

スペイン黄金世紀演劇

スペイン黄金世紀演劇とは、1590年から1681年頃までのスペインの演劇を指す。1469年にアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ王イサベル1世の結婚により統合され、1492年のグラナダ包囲でグラナダ王国をキリスト教国の領域内へと奪還し、スペインはヨーロッパの強国として頭角を現すようになった。この時代はスペイン黄金世紀と呼ばれることがある。16世紀から17世紀にかけてはスペイン社会において文芸が重要性を増すようになり、舞台芸術の上演が非常に増加した。ルネサンス期のスペインにおける舞台芸術は、貴族階級の手厚い支援がある一方で下層階級の人々もよく鑑賞しているものであり、あらゆる人々がアクセスできる芸術であった。

ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルス

ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルス(Sor Juana Inés de la Cruz、1651年11月12日 - 1695年4月17日)は、ヌエバ・エスパーニャの詩人、修道女。スペイン黄金世紀演劇の劇作家のひとりに数えられる。

メキシコがスペイン帝国の一部だった時代に生まれ、1664年ごろ、ヌエバ・エスパーニャ副王宮廷の侍女となる。1669年、17歳で修道女となりメキシコシティのサン・ヘロニモ修道会サンタ・パウラ修道院に入る。以後、修道院から一歩も外に出ることなく詩作に没頭して生涯を終えた。

恋愛や女性の社会的抑圧などをテーマとした、同時代のスペイン語文学を代表する一人。メキシコの200ペソ紙幣に肖像画が描かれている。

ティルソ・デ・モリーナ

ティルソ・デ・モリーナ(Tirso de Molina, 1579年10月 - 1648年3月12日)は、スペインの劇作家。スペイン文化の黄金時代、とくにスペイン黄金世紀演劇を代表する人物の一人である。

バリャドリッド

バリャドリッド(スペイン語: Valladolid IPA:[baʎaðoˈlið])は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州バリャドリッド県のムニシピオ(基礎自治体)。カスティーリャ・イ・レオン州の州都であり、バリャドリッド県の県都である。かつてカスティーリャ王国やスペイン王国の宮廷がおかれた。

バリャドリード、バリャドリー、バリャドリッ、バジャドリード、バジャドリー、バジャドリッなどとも表記される。2017年の人口は299,715人であり、カスティーリャ・イ・レオン州やガリシア州などを含むスペイン北西部では最大の都市である。バリャドリッド都市圏の人口は2013年時点で414,281人であり、スペイン第20位の都市圏である。

フアン・デル・エンシーナ

フアン・デル・エンシーナ(Juan del EncinaまたはEnzina, 1469年 - 1533年)はスペイン・ルネサンスの作曲家・詩人・劇作家。カトリック両王時代を象徴する文芸人であり、しばしばスペイン演劇(スペイン黄金世紀演劇)の創立者と呼ばれる。サラマンカ近郊の、おそらくエンシーナ・デ・サンシルベストレの出身。サラマンカ大学を卒業してすぐアルバ公に執事として仕える。

1492年に、グラナダ陥落を記念して執筆した戯曲『名誉の勝利 Triunfo de la fama 』によってアルバ公を楽しませる。1496年に、叙事的な戯曲や抒情詩を集めた『カンショネーロ Cancionero 』を上梓すると、この戯曲はそれから20年間にたびたび版を重ねた。数年後にローマを訪れ、音楽的力量によってローマ教皇アレクサンデル6世を魅了し、ローマ教皇庁の聖歌隊長に任命される。1518年頃に上級聖職者に叙階されると聖地エルサレムに巡礼して、初めてミサ曲の作曲を着想。1509年にはマラガ司教座で参事会員に就任し、1519年になるとレオン地方の小修道院長に任命される。1533年に地元サラマンカで亡くなったと伝えられている。

エンシーナの『カンショネーロ』は、韻律論の序文があり、スペインにおける詩作の状況が論じられている。14の戯曲は、中世ヨーロッパの神聖劇からルネサンスの世俗劇への変遷が特徴的である。いくつかの牧歌劇は、『ラ・セレスティーナ』に影響されて、羊飼いの冒険を舞台化している。エンシーナの戯曲に対する本質的な関心は微々たるものだが、歴史的観点からするとこれらの作品は重要である。世俗的な作品は新たな出発点を創り出し、宗教的な牧歌劇は、17世紀のスペイン演劇に至る道のりをつけたからである。しかもエンシーナの抒情詩は、表裏のなさと優雅さが際立っている。

フアン・ルイス・デ・アラルコン

フアン・ルイス・デ・アラルコン・イ・メンドーサ(Juan Ruiz de Alarcón y Mendoza, 1581年? - 1639年8月4日)は、スペイン黄金世紀(1492年 - 1648年)の劇作家。ヌエバ・エスパーニャのレアル・デ・タスコ(現在のメキシコ・ゲレーロ州タスコ)に生まれる。

フェリペ2世 (スペイン王)

フェリペ2世(Felipe II, 1527年5月21日 - 1598年9月13日)は、ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556年 - 1598年)。イングランド女王メアリー1世と結婚期間中、共同統治者としてイングランド王フィリップ1世(Philip I)の称号を有していた。また1580年からは、フィリペ1世(Filipe I)としてポルトガル国王も兼ねた。

スペイン帝国・スペイン黄金世紀の最盛期に君臨した偉大なる王で、絶対主義の代表的君主の一人とされている。その治世はスペイン帝国の絶頂期に当たり、ヨーロッパ、中南米、アジア(フィリピン)に及ぶ大帝国を支配し、地中海の覇権を巡って争ったオスマン帝国を退けて勢力圏を拡大した。さらにポルトガル国王も兼ね、イベリア半島を統一すると同時にポルトガルが有していた植民地も継承した。その繁栄は「太陽の沈まない国」と形容された。

1925年発行の100ペセタ紙幣に肖像が使用されていた。

フランシスコ・デ・ケベード

フランシスコ・ゴメス・デ・ケベード・イ・サンティバーニェス・ビジェーガス(Francisco Gómez de Quevedo y Santibáñez Villegas, 1580年9月14日 - 1645年9月8日)は、スペイン文化の黄金時代を代表する作家、詩人。スペイン文学史上最大の存在感を持つ人物の一人である。

ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ

ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ(Pedro Calderón de la Barca, 1600年1月17日、マドリード - 1681年5月25日)は、ロペ・デ・ベガ、フランシスコ・デ・ケベードと並ぶ17世紀スペイン・バロック演劇(スペイン黄金世紀演劇)の代表的な劇作家、詩人である。奇知・誇飾というバロック的表現を得意とした。

ロペ・デ・ベガやティルソ・デ・モリーナの開拓した娯楽としての演劇の潮流を受け継ぎ、趣向を凝らした舞台装置、舞踊や音楽を織り込んだ、スペインにおける「ショー」としての演劇を完成させた。

『当世コメディア新作法』などでロペ・デ・ベガの提唱した「新しい演劇」(三幕、二重プロット、悲喜劇、王侯貴族と平民の混在、名誉と信仰のテーマ)を継いでいるが、カルデロンはさらに、修辞を駆使した、緻密で哲学的な独自の作風を築き上げた。

生涯に約120本の喜劇と約80編の聖体神秘劇を書いたと言われ、幕間劇や笑劇なども数十篇残している。名誉(オノール honor)をテーマにした劇(『名誉の医者』)、いわゆる「マントと剣」のコメディア(『淑女「ドゥエンテ」』)、歴史を題材にした喜劇・コメディア(『サラメアの司法官』 El alcalde de Zalamea)、また、現世の移ろいやすさと信仰の重要性をテーマとした哲学劇(『人生は夢』 La vida es sueño)、宗教劇(『驚異の魔術師』、『不屈の王子』)、ギリシア・ローマ神話を下敷とした神話劇(『エコーとナルキッソス』)など、創作の幅は極めて多岐にわたっている。代表作である『人生は夢』 はコメディアと神秘劇の両方が存在する。

ドイツではゲーテをはじめとするロマン主義の詩人や、ホフマンスタールやベンヤミンらもカルデロンを好んだ。

20世紀演劇におけるカルデロンの上演では、ポーランドの演出家イェジー・グロトフスキによる『不屈の王子』(1970年)が有名である。ほか、イタリアの詩人パゾリーニがカルデロンにインスパイアされた『カルデロン』という題の戯曲を執筆している。

1928年にスペインで発行された25ペセタ紙幣に肖像が使用されていた。

ミゲル・デ・セルバンテス

ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547年9月29日 アルカラ・デ・エナーレス - 1616年4月23日、マドリード)は、近世スペインの作家で、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(Don Quijote de la Mancha)の著者として著名。

ロペ・デ・ベガ

ロペ・デ・ベガ(Lope de Vega, 1562年11月25日 - 1635年8月27日)はスペインの劇作家、詩人。本名はフェリクス・ロペ・デ・ベガ・イ・カルピオ (Félix Lope de Vega y Carpio)。1,500から2,500の戯曲を書いたといわれるが、現在まで残っているのは425である。スペイン黄金世紀演劇を代表する劇作家である。

牛島信明

牛島 信明(うしじま のぶあき、1940年8月14日 - 2002年12月13日)は、スペイン文学者。東京外国語大学名誉教授。

鏡のヴィーナス

『鏡のヴィーナス』(かがみのヴィーナス、西: Venus del espejo、英: Venus at her Mirror)は、スペイン黄金世紀の巨匠であるスペイン人画家のディエゴ・ベラスケスが描いた絵画。ロンドン・ナショナル・ギャラリーの所蔵で、英語圏では『ロークビーのヴィーナス (The Rokeby Venus)』と呼ばれることが多く、諸外国では他にThe Toilet of Venus、Venus and Cupid、La Venus del espejoor、La Venus del espejo などと呼ばれている。1647年から1651年にかけて、ベラスケスがイタリアに滞在していたときに描かれたものといわれ、ローマ神話の女神であるヴィーナスが裸体でベッドに横たわり、彼女の息子である愛の神キューピッドが支える鏡に見入っているという構図の絵画である。

古代からバロック期にいたるまでの数多くの絵画が、ベラスケスのこの作品に影響を与えたといわれる。イタリアの画家たちが描いた裸体のヴィーナス、たとえばジョルジョーネの『眠れるヴィーナス (Sleeping Venus, 1510年 アルテ・マイスター絵画館蔵)』、ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス (Venus of Urbino, 1538年 ウフィツィ美術館蔵)』などである。ベラスケスはこの絵画にそれまでのヴィーナスの作品でよく描かれた、ベッドや長椅子に横たわるヴィーナス、鏡に映った自分自身を見つめるヴィーナスという二つのポーズを取り入れている。この作品は以降のさまざまな絵画表現における出発点となった。それは中央に鏡を配置することにより、鑑賞者に背を向けているヴィーナスの向こうむきの表情まで表現していることなどである 。

『鏡のヴィーナス』はベラスケスが描いた裸婦画で唯一現存している作品で、厳格なカトリック教国であった当時のスペインにおいて17世紀に異端審問によって徹底的に弾圧の的となった裸婦を描いたスペイン絵画で残っている非常に数少ないものの一つである。こういった弾圧にもかかわらず、外国の画家たちによって描かれた裸婦画はスペイン貴族階級の間で熱心に収集されており、『鏡のヴィーナス』も、イングランドのヨークシャーにあるカントリーハウスのロークビー・パーク (en:Rokeby Park) へ持ち込まれる1813年まではスペイン宮廷人の家に飾られていた。

この絵画は1906年にナショナル・アート・コレクション・ファンド (en:National Art Collections Fund) によってロンドン・ナショナル・ギャラリーのために購入された。1914年には婦人参政権論者のカナダ人メアリ・リチャードソンによって切り付けられひどく損傷したが、すぐに修復され、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに元通り展示されている。

黄金時代

黄金時代(おうごんじだい、英語:Golden Age)は、全盛期、絶頂期のこと。

古くはギリシャ神話において、人間はかつて現在より優れた“黄金時代”を生きていたと説く。

あるいは、ゴールドラッシュのように、ある国家や地域が金の採掘や流通で経済的に繁栄している時代や、その状況を指すこともある。

後述するが、現代においては、比喩的にある国家や組織、大衆文化における勃興から場合によっては衰亡までのその歴史の中で最も繁栄した時代や、著名人の全盛期なども指す。

対義語は暗黒時代。

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