ギブオン

ギブオン(Gibon)は、旧約聖書に登場するベニヤミン族の町の名前である。今日の、エル・ジーブであるといわれる。

エルサレムの北西9.6kmに位置する。イスラエルのカナン侵攻の時には、ヒビ人の主要都市であった。

イスラエルのカナン侵攻の際に、ギブオンの住民は抗戦することを止めて、イスラエルと和議を講じようとした。そのことが発覚したので、ギブオンの住民はイスラエルの奴隷になった。

エモリ人の連合軍が侵攻してきた時には、イスラエルに援軍を派遣してエモリ人撃退を助けた。

後に、サウル王がこの地域でギブオンの住民を虐殺したので、サウル王の死後、サウル王の子孫の7人が住民の要求により処刑された。

サウル王の死後のダビデイシュ・ボシェテとの勢力争いがギブオンの池のそばで行われた。両軍の将ヨアブとアブネルが12人の代表戦士を出して一騎討ちをさせたが、刺し違えて共に死んだ。

シロの陥落後、聖所はギブオンの高き所にあった。ソロモンもギブオンの高きところでいけにえをささげた。

後に、預言者ハナヌヤを輩出した。バビロン捕囚後も95人のギブオン出身者が帰還して、エルサレムの城壁の再建に協力した。

参考文献

アブドン

アブドン(英語: Abdon 、ヘブライ語: עַבְדּוֹן‎ (Abdon)、古代ギリシア語: Αβδών、「僕」を意味する語根に由来 )は、旧約聖書の登場人物または町。

イスラエルの士師。エフライム族のピルアトン人ヒレルの子。アブドンは40人の息子と30人の孫を持っていた。彼らは70頭のろばを乗っていたことから、富と地位を得ていたことが窺える。8年間イスラエルを裁いた後、死後、エフライムの地のアマレク人の山、ピルアトンに葬られた(士師記 12:13-15)。

ベニヤミン族のギブオンの父エイエル(七十人訳聖書)と妻マアカの長子(歴代誌上 8:30、9:36)。

ユダ族の王ヨシヤの廷臣。ミカの子(歴代誌下 34:20)。列王記下22章12節のアクボルと同一人物であると考えられる。

ベニヤミン族のシャシャクの子。エルサレムに住んだ長の一人(歴代誌上 8:23-28)。

レビ族のゲルションの氏族に与えられたアシェル族の町(ヨシュア記 21:27-30、歴代誌上 6:71-74)。アシェル族には四つのレビ族の町がある。放牧地と共にゲルション人に分与された。場所は恐らくキルヤト・アルベ (Khirbet Abdeh)、テル・アブドン (Tel Avdon) と同定される。

ソロモン

ソロモン(ヘブライ語: שלמה、Šəlōmōh Shlomo、 ギリシア語: Σολομών、 ラテン語: Salomon、 アラビア語: سليمان、Sulaymān、 トルコ語: Süleyman、 紀元前1011年頃 - 紀元前931年頃)は、旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエル(イスラエル王国)の第3代の王(在位紀元前971年 - 紀元前931年頃)。父はダビデ。母はバト・シェバ。エジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降嫁されることで安全保障を確立し、古代イスラエルの最盛期を築いた。

正教会で聖人とされる。

パレスチナの手工芸品

パレスチナの手工芸品には、刺繍や陶磁器、石鹸などのほか、ガラスや織布、オリーブ材による木彫り装飾、そして真珠層を用いた螺鈿細工などがある。多種多様な手工芸品の多くは、パレスチナ在住のアラブ人によって、今日に至るまでの数百年間生産されている。ヨルダン川西岸地区内の一部の町、とりわけベツレヘムやヘブロン、そしてナブルスが、手工芸品の生産に特化しているとの評判を得ている。こうした品目の売り上げや輸出はそれぞれの町の経済において重要な役割を担っている。

ベニヤミン族

ベニヤミン族は、ベニヤミンを祖とするとされる古代イスラエルの部族である。

ヘブライ語で「ヤーミーン」が「南」を意味するところから、この部族と南との関連性を指摘する学説がある。

ヨシュア (ヘンデル)

『ヨシュア』(Joshua)HWV 64は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが1747年に作曲し、翌1748年に初演した英語のオラトリオ。聖書の「ヨシュア記」にもとづく。『機会オラトリオ』『ユダス・マカベウス』『アレクサンダー・バルス』と並んで、軍国主義的なオラトリオ四部作をなす。

『ユダス・マカベウス』の合唱曲として知られる「見よ、勇者は還る」は、本来は『ヨシュア』の中の曲で、1750年に『ユダス・マカベウス』を再演したときに転用されたものである。

ヨシュア記

『ヨシュア記』(ヨシュアき、ヘブライ語: ספר יהושע‎)は聖書の書物である。

そこには、ヨシュアの指導の下、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されている。この書物は、キリスト教においては「歴史書」に、また、ユダヤ教においては預言書に分類される。

ラキシュ

ラキシュ(英語:Lachish,ヘブライ語: לכיש‎,ギリシア語: Λαχις)は、かつてパレスチナに存在した都市である。『文語訳聖書』や『口語訳聖書』ではラキシ。エルサレムの南西45kmに位置する。

ラマ (ベニヤミン族)

ラマ(英語:Ramah in Benjamin)はエフライム山地にあるベニヤミン族の町である。「高い所」という意味のヘブル語の地名である。

ベテルからエルサレム、ベツレヘムへ至る街道沿いのエレサレムの北8km、ギブオンの東4kmにある。

エフライムの山地のレビ人が外国人を避けるために泊まろうと考えたイスラエル人の町のひとつである。ベニヤミンの母ラケルの墓があったという伝説がある。

リンモーン

リンモーン(רִמּוֹן, クティーブ・マーレー:רימון rimmôn)はヘブライ語の言葉

トーラーの飾りの一つ。複数形リンモーニーム(רִמּוֹנִים)で呼ぶ。セーフェル・トーラー(トーラーの巻物)の芯の上にかぶせる。古い時代にはエルサレム神殿の柱をかたどった意匠などが存在したが、時代が進むにつれて柘榴と呼ばれるようになった。現在では塔の形をしたものなどがあり、素材としては銀など金属で作った高価なものがある。

リンモーニーム (רימונים rimmônīm) : イスラエルの都市の名前

イスラエルの週刊誌。רימון 参照

パルデース・リンモーニーム pardhes rimmonim(柘榴の庭)は、モーセ・コルドベロによる1548年の本

リモン:政治的にはベニヤミン族に属していた四つのギブオン人の町ベエロト Beeroth (サムエル記下4:2)の人で、レカブとバアナの父。レカブとバアナはダビデの政敵サウルの子イシュ・ボシュトを襲って殺害し、ダビデに「主が邪悪なものに正しく報復された」と主張するが、ダビデは「正しい人を殺害した」と主張し「悪を地上から取り去らなければならない」ということで処刑されてしまう。 (ヨシュア記 9:17 をまた参照)

「リモンの神殿」: 列王記下5:18にのみ見えるシリアの偶像

エン・リモン : 後にシメオン族に与えられたユダの辺境の町の一つ(ヨシュア記) / リモン:歴代誌上に登場する村の名前

リモンの岩場 Rock of Rimmon : ギブアに泊まったレビ人の傍女を、ギブアのベニヤミン族の群集が死に至らしめたことから起こった戦争で、ベニヤミン人が他の部族の攻撃を逃れるために留まった場所

リモン - イスラエル国防軍の特殊部隊 この記事には現在パブリックドメインになっている次の著作物の文章が含まれている: Easton, Matthew George (1897). "要記事名". Easton's Bible Dictionary (New and revised ed.). T. Nelson and Sons.

聖なる高台

聖なる高台 (せいなるたかだい ヘブライ語:בָּמָה [bāmāh])とは、古代カナンで用いられた神々への礼拝所。後にこの地に入植したヘブライ人も利用し、旧約聖書にも登場する。

なお、「聖なる高台」とは新共同訳聖書での訳語で、口語訳聖書では高き所 、文語訳聖書では崇邱 (たかをか/たかきところ)と訳す。原語のバマは本来「高い所」というほどの意味で、現代ヘブライ語では「舞台」の意味でも用いられる。

形式は、神(特にアシェラ)の依代となる聖木や石柱があり、これに付随して建物と祭壇が設けられている。

原語の意味の通り丘陵地に設けられるのが普通だが、後には人工の高台や大木の下にも設けられた。

ヘブライ人たちは、自分たちの神ヤハウェを祀る為にもこれを用いた。サムエル記上第9章では、サムエルとサウルが出会い、会食する舞台となっている。

また、列王記上第3章によれば、ソロモン王はギブオンにある聖なる高台で千頭もの生贄を捧げ、それによってヤハウェから、名高い智恵を授かったという。

また、ヘブライ人たちは後に、ヤハウェとともに異民族の神であるバアルやアシェラ、天体の神々をも崇めるようになり、それらも聖なる高台で祀った。

これらの神々への崇拝や異民族の習慣である聖なる高台の使用は、純正なヤハウェ信仰を守ろうとする聖職者層から敵視されるが、ソロモン王をはじめとする多くのイスラエル王国為政者たちはこれを容認した。

列王記下第23章によれば、南ユダ王国のヨシヤ王は、異民族の習慣であるこの聖なる高台の使用を禁じ、ヤハウェへの祭祀はエルサレム神殿でのみ行うよう命じた。だがそれでも一掃はできず、聖なる高台での神々への祭祀はエレミヤの時代まで続いていたという(エレミヤ書第19章)。

旧約聖書の町

他言語版

This page is based on a Wikipedia article written by authors (here).
Text is available under the CC BY-SA 3.0 license; additional terms may apply.
Images, videos and audio are available under their respective licenses.