アラム語

アラム語ܠܫܢܐ ܐܪܡܝܐ, ラテン語: Lingua Aramaica)は、かつてシリア地方メソポタミアで遅くとも紀元前1000年ごろから紀元600年頃までには話されており、かつ現在もレバノンなどで話されているアフロ・アジア語族セム語派言語で、系統的にはフェニキア語ヘブライ語ウガリト語モアブ語などと同じ北西セム語に属す言語である。アラマイ語とも呼ばれる[3]

もともとアラム語は今のシリアを中心としてその周辺(レバノンヨルダントルコイラク)に住むアラム人の言語だった。アラム人は主に農民だったが、アレッポダマスカスに代表される都市の住民もあった。後に通用範囲を広げて中東全体のリンガ・フランカとして使われるようになったが、7世紀にアラビア語に押されて衰退した。現在でもアラム系諸言語の話者は存在するが、周辺のアラビア語やクルド語の強い影響を受けている。20世紀にはいるとアラム語が使われる範囲は縮小した[4]

アラム語は新アッシリア帝国の外交用語としても使われ、新バビロニアアケメネス朝ペルシア帝国は行政用の公用語としてアラム語が使われた。近隣のセム語話者たちはその文章語、口語のアラム語化といった直接的な影響を受ける。

アラム語
ܐܪܡܝܐ‎, ארמית
Arāmît
発音 IPA: [arɑmiθ], [arɑmit],
[ɑrɑmɑjɑ], [ɔrɔmɔjɔ]
話される国

レバノンの旗 レバノン
イランの旗 イラン
イラクの旗 イラク
イスラエルの旗 イスラエル
シリアの旗 シリア
トルコの旗 トルコ
ヨルダンの旗 ヨルダン

  • アッシリア人のディアスポラ
話者数 約2,105,000人
言語系統
表記体系 アラム文字, シリア文字, ヘブライ文字, マンダ文字, アラビア文字 (日常語) デモティック[1]漢字[2]の碑文が少数ながら見つかっている。
言語コード
ISO 639-1 なし
ISO 639-3 各種:
arc — 帝国アラム語 (700–300 BC)
oar — 古代アラム語 (-700 BC)
aii — アッシリア現代アラム語
aij — ノシャン語
amw — 現代西アラム語
bhn — ボータン現代アラム語
bjf — バルザニ・ユダヤ現代アラム語
cld — カルデア現代アラム語
hrt — ヘルテヴィン語
huy — ハラウラ語
jpa — パレスチナ・ユダヤ教徒アラム語
kqd — コイ・サンジャク・スラト語
lhs — ムラハソー語
lsd — デニ語
mid — 現代マンダ語
myz — マンダ語
sam — サマリア・アラム語
syc — シリア語
syn — セナヤ語
tmr — ユダヤ・バビロニア・アラム語
trg — ディダン語
tru — トゥロヨ語
xrm — Armazic(0–200 AD)
この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(アラム文字)が含まれています。

歴史

アラム語によって書かれた文献は3000年間近くにわたる長い歴史を持ち、その間に大きな変化を経ている。また地理的な違いも大きい。大別すると以下のように分けられる[5]

話者の減少

現代のアラム語を話す住民の居住地として、シリアの首都ダマスカス周辺の村々が知られていたが、2011年に発生したシリア騒乱を契機にアラム語を話す住民が離散。言葉を引き継ぐ世代交代が難しくなっていることに加え、シリア国内にいるアラム語の専門家の数も減り続けており、近い将来、シリア国内からは消えてしまう可能性がある[10]

音声

古代アラム語ではセム祖語以来の子音の区別は保たれていたと考えられる[11]。帝国アラム語以降、θ ð θʼ ɬ ɬʼ x ɣ がそれぞれ t d tʼ s ʕ ħ ʕ に合流した結果、後期アラム語では子音数は22になった。その一方で、子音弱化によって閉鎖音が摩擦音化した[12][13]

セム祖語 θ ð θʼ ɬ ɬʼ
アラム語 t d tʼ (ṭ) s ʕ (ʿ)
ヘブライ語 š z sʼ (ṣ) ɬ (ś) sʼ (ṣ)
アラビア語 θ (ṯ) ð (ḏ) (ẓ)[14] ɬ[15] (ḍ)[14]

とくに ɬʼ の咽頭音化は目立つ変化であり、セム祖語 ʔarɬʼ(地)は、ヘブライ語 ʔɛrɛsʼאֶרֶץ)に対してアラム語では ʔarʕaː になる[16](アラビア語では ʔarḍ أرض))。

帝国アラム語以降、アクセントのない短母音の弱化が進み、後期アラム語では多くの方言で消失した[17]。中期アラム語以降、母音 e o が発生し、また母音の長短の区別が失われた。一部の方言ではさらに ɛ ɔ が発生して7母音になった[18]。7-9世紀になるとダイアクリティカルマークによる母音表記のシステムが地域ごとに4種類作られるが[19]、ティベリア式とネストリウス式では7母音、バビロニア式では6母音、ヤコブ派式では5母音の区別がなされる[20]

文法

名詞・形容詞・分詞は(男性・女性)、(単数・複数)、および定性で変化する。は区別されない[21]

名詞・形容詞はヘブライ語と同様の絶対形と連語形(合成形、所属形)のほかに強調形が存在する。強調形は起源としては定冠詞 が後置された形であり[22]、古くは定性があることを示した。それに対して絶対形は不定のものを示し、連語形では限定する名詞によって定性が決定された。しかし、後期アラム語では強調形が定性の有無にかかわらず使われるようになり、絶対形と連語形は衰退した。ただし、形容詞および分詞においては絶対形が叙述用法の形として生き残った[23]。形容詞は修飾する名詞の後に置かれ、修飾する名詞と性・数・定性を一致させる。指示代名詞も後置される[24]

人称代名詞は性・数・人称によって10通りの形が存在する。独立した人称代名詞のほかに接尾語形がある[25]

動詞は二子音・三子音または四子音からなる語根があり、母音のパターンと接頭辞接中辞によっていくつかの語幹が作られる(アラビア語の派生形と同様)。動詞は3つの人称と2つの性(一人称を除く)、2つの数によって人称変化する。完了形、不完了形、命令形、不定形、能動分詞、受動分詞があり、帝国アラム語までは指示形もあった。分詞とコピュラを組み合わせて複合時制が作られた。後期アラム語では完了形で過去を、分詞で非過去を、不完了形で目的や意志などを表すように変化した[26]

語順は一定でないが、多くの方言ではVSO型がもっとも無標の形である。帝国アラム語ではアッカド語の影響によって、しばしば動詞が最後に置かれる[27]。主語は特に言う必要がなければ省略される。動詞は主語の人称・性・数に一致するが、主語が動詞に後置される場合はしばしば複数の主語に単数の動詞が使われたり、女性の主語に男性形の動詞が使われたりする。主語が前置される場合はこのような不一致はほとんど見られない[28]

下位分類

Syriac Dialects EN
現代アラム語話者の分布(緑が西方アラム、他が東方アラム。マンダ語は見えていない)

紀元前3世紀頃から後のアラム語は2つのグループに分けられる。

注釈

  1. ^ The Aramaic Text in Demotic Script: The Liturgy of a New Year's Festival Imported from Bethel to Syene by Exiles from Rash – On JSTOR
  2. ^ Manichaean Aramaic in the Chinese Hymnscroll
  3. ^ 「アラム語」- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  4. ^ Creason (2004) p.391
  5. ^ Kaufman (1997) p.114-119
  6. ^ Creason (2004) p.392によると 950BC-600BC
  7. ^ Creason (2004) p.392 では700年までとする
  8. ^ Jastrow (1997) p.334
  9. ^ Jastrow (1997) p.347
  10. ^ キリストが使った言語、内戦の影響で消滅の危機 シリア”. AFP (2019年7月20日). 2019年7月21日閲覧。
  11. ^ Kaufman (1997) p.119
  12. ^ Kaufman (1997) pp.119-120
  13. ^ セム祖語の形は Huehnergard (2004) p.142 に従う
  14. ^ a b アラビア語の ḍ ẓ(ظ ض)が本来どう発音されていたかには議論がある
  15. ^ 9世紀以降に今の音(ʃ)に変化した
  16. ^ Huehnergard (2004) p.144
  17. ^ Kaufman (1997) pp.120-121
  18. ^ Creason (2004) p.398
  19. ^ Creason (2004) p.394
  20. ^ Creason (2004) pp.399-400
  21. ^ Creason (2004) pp.402-403
  22. ^ Kaufman (1997) p.123
  23. ^ Creason (2004) pp.402-403
  24. ^ Creason (2004) pp.418-419
  25. ^ Creason (2004) pp.404-408
  26. ^ Creason (2004) p.411
  27. ^ Creason (2004) p.422
  28. ^ Creason (2004) p.421
  29. ^ AFPBB News 2008年5月19日【動画】キリストが話していた「アラム語」、21世紀に直面する消滅の危機
  30. ^ 川又一英「アラム語を話す村マールーラ」、国立民族学博物館(監修)『季刊民族学』89号、1999年7月20日

参考文献

  • 岩下紀之『旧約聖書アラム語入門』中部日本教育文化会、1993年。ISBN 4885210941
  • 飯島紀『アラム語入門 : ペルシア帝国の国際公用語キリストの日常語-そして現代も生きる』泰流社、1998年。ISBN 4812102421
  • 谷川政美訳 『バアルの物語』 新風舎 1998年。ISBN 4797403276
  • 古代語研究会、谷川政美著『ウガリト語入門』 キリスト新聞社 2003年。ISBN 4873953782
  • 土岐健治村岡崇光『イエスは何語を話したか』教文館、2016年。ISBN 4764261103
  • Creason, Stuart (2004). “Aramaic”. In Roger D. Woodard. The Cambridge Encyclopedia of the World’s Ancient Languages. Cambridge University Press. pp. 391-426. ISBN 9780521562560.
  • Huehnergard, John (2004). “Afro-Asiatic”. In Roger D. Woodard. The Cambridge Encyclopedia of the World’s Ancient Languages. Cambridge University Press. pp. 138-159. ISBN 9780521562560.
  • Jastrow, Otto (1997). “The Neo-Aramaic Languages”. In Robert Hetzron. The Semitic Languages. Routledge. pp. 334-377. ISBN 9780415412667.
  • Kaufman, Stephen A. (1997). “Aramaic”. In Robert Hetzron. The Semitic Languages. Routledge. pp. 114-130. ISBN 9780415412667.

関連項目

外部リンク

アケメネス朝

アケメネス朝

haxāmanišiya

アケメネス朝の最大版図

アケメネス朝(古代ペルシア語: 𐏃𐎧𐎠𐎶𐎴𐎡𐏁 Haxāmaniš ハカーマニシュ、古代ギリシア語: Ἀχαιμένης アカイメネース)は、古代オリエントに存在した王朝・帝国・遊牧国家。

アッシリア人

アッシリア人(アッシリアじん)とは、アラム語の1つ現代アラム語を話しキリスト教を信仰する中東の少数民族。古来からアラブ人、トルコ人、クルド人、トルクメン人などの異民族との競合や迫害を受けながらも、強固な民族意識により伝統的な文化を継承している。

「シリア人」という意味の「スリョイェ」(アラム語: ܣܘܪܝܝܐ‎, Sūryāyē, Suryoye)を自称するが、シリア・アラブ共和国の国民との混同を避けるため、以下アッシリア人という表記を用いる。ドイツなどではアラム人(Aramäer)と呼ばれる。なお、古代アッシリア人との遺伝的関係は明らかになっていない。

アラム文字

アラム文字(アラムもじ)は、かつての中東の国際語(リンガ・フランカ)であった古代アラム語(Old Aramaic、Official Aramaic、Middle Aramaic、Late Aramaicなどのアラム語に属すen:Neo-Aramaic languagesの祖語)の文字。中東系文字の大部分は、この文字から派生した。フェニキア文字と密接な関係がある。

エノク書

『エノク書』(エノクしょ ゲエズ語(古代エチオピア語):መጽሐፈ ሄኖ,ヘブライ語: ספר חנוך א'‎ )または『第一エノク書』は、紀元前1~2世紀頃成立と推定されるエチオピア正教会における旧約聖書の1つ。エノクの啓示という形をとる黙示である。多くの文書の集成であり、天界や地獄、最後の審判、ノアの大洪水についての予言などが語られており、天使、堕天使、悪魔の記述が多い。

『第一エノク書』は元々アラム語か、またはヘブル語で書かれていたらしい。アラム語の断片が死海文書の中に見出される。現在エチオピア語訳が現存しているが、19世紀にエジプトにおいて、ギリシア語でかかれた『エノク書』の断片が発掘された。しかし、スラブ語訳・エチオピア語訳共に、原本の通りに訳されたわけではなく、様々な記述が加えられている。

書かれた当初は広く読まれたらしく、教父達の評価も高かった。初期のキリスト教の一部やエチオピア正教では『エノク書』は聖書の一部とされる。 他では偽典とされるが、七大天使などでエノク書にしか現れない天使名が使われており、キリスト教初期には広く知られていた。

『ユダの手紙』1章14-15節は『エノク書』60章8節と1章9節を引用している。しかし、『エノク書』節1章8-10節は『申命記』33章2-3節のミドラーシュだと認識されている。

シリア文字

シリア文字(シリアもじ)は、シリア語で用いられる文字で、22文字からなるアブジャドである。アラビア文字やヘブライ文字などと同様に、右から左に書かれる。アラム文字から発達したが、文字はアラビア文字と同様につなげて書かれ、ִִִ一部の文字は語頭・語中・語末・独立の4つの異なる字形を持っている。

シリア語

シリア語(古典シリア語)はシリア、レバノン、トルコ、イラクを中心とする中東のキリスト教徒によって用いられている典礼言語。アフロ・アジア語族セム語派に属するアラム語の一種。

ジーディ

ジーディー(Dzhidi)とは別名をユダヤ・ペルシア語といい、イランのユダヤ人の言語である。旧ペルシア帝国のユダヤ人社会で話される、インド=イラン系の言語や方言を包括的にジーディーと呼ぶ場合もある。狭義では、テヘランとマシュハド一帯のユダヤ人社会で話されているユダヤ訛りのペルシア語方言だけをジーディーという。トーラーの言語(ヘブライ語)に対して、ラートラーイー(Latorayi)つまり「非トーラー(の言語)」と呼ぶ場合もあるが、これは硬い表現である。

ユダヤ人の言語の中にペルシア語が流入した歴史は古く、ヘブライ語聖書にまで遡ることができる。バビロン捕囚以降の章を見ると、固有名詞や題名に、ヘブライ語やアラム語と並んでペルシア語が現れることがわかる(たとえば"dat" = "法"; "genez" = "宝"; "pardes" = "公園"などといった具合に) 。これらのペルシア語は、アケメネス朝の時代になると、ユダヤ人の語彙として永続的に使用されるようになった。

セム語派

セム語派(セムごは)ないしセム語族(セムごぞく)は、言語学においてアフロ・アジア語族に属する言語グループである。

バビロニア

バビロニア(古希: Βαβυλωνία、英: Babylonia)、またはバビュロニアは、現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の沖積平野一帯を指す歴史地理的領域である。南北は概ね現在のバグダード周辺からペルシア湾まで、東西はザグロス山脈からシリア砂漠やアラビア砂漠までの範囲に相当する。その中心都市バビロンは『旧約聖書』に代表される伝説によって現代でも有名である。バビロニアは古代においては更に南部のシュメール地方と北部のアッカド地方に大別され、「シュメールとアッカドの地」という表現で呼ばれていた。

バビロニアは世界で最も古くから農耕が行われている地域の一つであり、前4000年期には既に中東の広い範囲との間に交易ネットワークが張り巡らされていた。前3000年期には文字が使用され始めた。初めて文字システム体系を構築したシュメール人やアッカド人たちはバビロニア南部でウルやウルク、ニップル、ラガシュなどに代表される多数の都市国家を構築し、前3000年期後半にはアッカド帝国がバビロニアを含むメソポタミア全域への支配を打ち立て、更にウル第3王朝がそれに続いた。

前2000年期に入ると、アムル人(アモリ人)と呼ばれる人々がメソポタミア全域で多数の王朝を打ち立てた。その内の一つでバビロンに勃興したバビロン第1王朝は、ハンムラビ王(在位:前1792年-前1750年)の時代にメソポタミアをほぼ統一し、バビロンが地域の中心都市となる契機を作った。前2000年期後半にはカッシート人が作った王朝(バビロン第3王朝)が支配権を握り、古代オリエント各地の国々と活発に交流を行い、または戦った。カッシート人の王朝は東のエラムとの戦いによって滅亡した。

前1000年期前半にはバビロニアの王朝はアッシリアとの相次ぐ戦いの中で次第に劣勢となり、アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世(在位:前745年-前727年)によってその支配下に組み込まれた。アッシリアによるバビロニアの支配は恒常的な反乱にも関わらず、短期間の中断を挟み100年以上継続したが、前625年にカルデア人ナボポラッサル(ナブー・アピル・ウツル、在位:前625年-前605年)がアッシリア人を駆逐し、新バビロニア王国(カルデア王国)を建設したことで終わった。新バビロニアは更に前539年にアケメネス朝(ハカーマニシュ朝)の王キュロス2世(クル2世、在位:前550年-紀元前529年)によって征服され、その帝国の一部となった。アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス3世(大王、在位:前336年-前323年)は遠征の途上、バビロンに入場し、また征服の後はバビロンで死去した。

アレクサンドロス大王の死後、後継者(ディアドコイ)の一人セレウコス1世(在位:前305年-前281年)がバビロニアの支配者となった。彼がバビロニアに新たな拠点としてティグリス河畔のセレウキアを建設するとバビロンの重要性は次第に失われて行き、続くアルサケス朝(アルシャク朝、パルティア王国)時代にはセレウキアとその対岸の都市クテシフォン(テーシフォーン)が完全にバビロニアの中心となってバビロン市は放棄された。それに伴い、シュメール時代から続けられていた楔形文字による文字体系も失われ、古くから伝承されたシュメール語やバビロニア語の文学的伝統も途絶えた。

バビロニアは法律、文学、宗教、芸術、数学、天文学などが発達した古代オリエント文明の中心地であり、多くの遺産が後代の文明に引き継がれた。政治体制は基本的に都市国家的な性格を強く残し、地域全体を包括する政治的統一が成し遂げられたのは特定の時代に限られる。アムル人、カッシート人、アラム人など外部からの頻繁な移住が行われ、地元の住民と衝突、混交した。地域の中心的な言語はシュメール語及びアッカド語(バビロニア語)からアラム語へと移り変わり、アレクサンドロス3世(大王)による征服の後にはギリシア語も普及した。

なお、歴史上のどの時点からをバビロニアと呼び、またそれはいつまでであるのかについて明確な定義があるわけではない。本項では便宜上、バビロン市が史料に初めて登場するアッカド帝国時代前後から、バビロン市が完全に放棄され楔形文字による文字記録が途絶えるまでを中心として述べる。現在において年代が確実な最期の楔形文字文書は西暦74/75年の天文記録であり、年代不明の文書の一部は1世紀以降まで時代が下る可能性がある。

パフラヴィー文字

パフラヴィー文字(パフラヴィーもじ、ペルシア語:خط پهلوی)とは、アラム文字をもとにして中期ペルシア語(パフラヴィー語)を書き表すのに用いられた文字である。狭義には、「書物のパフラヴィー文字」(後述)を指し、広義には、マニ文字以外の中期ペルシア語資料の文字全般を指す。

パルティア

アルサケス朝

اشکانیان (Ashkâniân)

紀元前50年頃のパルティアの領域

パルティア(、前247年-後224年)は古代イランの王朝。王朝の名前からアルサケス朝(アルシャク朝)とも呼ばれ、日本語ではしばしばアルサケス朝パルティアという名前でも表記される。前3世紀半ばに中央アジアの遊牧民の族長アルサケス1世(アルシャク1世)によって建国され、ミトラダテス1世(ミフルダート1世、在位:前171年-前138年)の時代以降、現在のイラク、トルコ東部、イラン、トルクメニスタン、アフガニスタン西部、パキスタン西部にあたる、西アジアの広い範囲を支配下に置いた。前1世紀以降、地中海世界で勢力を拡大するローマと衝突し、特にアルメニアやシリア、メソポタミア、バビロニアの支配を巡って争った。末期には王位継承を巡る内乱の中で自立したペルシスの支配者アルダシール1世(在位:226年-240年)によって滅ぼされ、新たに勃興したサーサーン朝に取って代わられた。

パルティア語

パルティア語(パルティアご、パルティア語: Pahlawānīg、英: Parthian language)は、かつてパルティアで使われていたイラン語の一種で、中期イラン語に属する。

ヘブライ文字

ヘブライ文字(ヘブライもじ、ヘブライ語: אלפבית עברי‎ アレフベート・イヴリー、ヘブル文字とも)とは、主にヘブライ語を表記するための文字である。ほかにイディッシュ語などの表記にも用いられる。

現代のヘブライ文字は、アラム文字より派生したアブジャドの一種で、右書き(右から左に)で書く。ヘブライ語の話者はヘブライ文字をアレフベートと呼ぶ。22文字の子音文字からなる表音文字で、うち k、m、n、p、ṣ の5つの文字に非語末形と語末形(ソフィート)の区別があるため、27文字になっている。

マタイによる福音書

『マタイによる福音書』(マタイによるふくいんしょ、ギリシア語: Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον Kata Matthaion Euangelion、ラテン語: Evangelium Secundum Mattheum)は、新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。

伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。呼び方としては『マタイの福音書』、『マタイ福音』、『マタイ伝』などがあり、ただ単に『マタイ』といわれることもある。日本ハリストス正教会では『マトフェイに因る聖福音』または『マトフェイによる福音書』という。

ラビ

ラビ(英語・ラテン語 rabbi, ドイツ語 Rabbi, ギリシア語 rhabbi, アラム語 rabbin(複数形), ヘブライ語 rabbi / セファルディ・ミズラヒ圏 chakham, イディッシュ語 rebbe)とは、ユダヤ教に於いての宗教的指導者であり、学者でもあるような存在。

複数形はラッビーイーム。

英語圏(主に米国)ではラバイと発音する(Ra-Byのような発音になる)

ヘブライ語ラッビー rabbi とはラブ rabh「師」の派生語であり、「わが師」という形である。イツハク・ラビンやラビノヴィチ Rabinowicz というような姓にある「ラッビーン」はアラム語の複数形である。

また、アラム語ラッバーン rabban「チーフ・ラビ」は、サンヘドリン長に与えられた、ラビよりも上の称号である。

ラビを呼ぶときは「ラビ・○○」というように姓の前にラビを付けて敬意を表す。

「ラッベーヌー」となると「我々のラブ(師)」で、特にラッベーヌーという場合はモーセなどをさす。

アラム語の対応形が「ラッバーン、ラバン」で、古代のサンヘドリン長のことである。

ラディーノ語のハハム chakham はアラビア語のハキームに対応し、イスラム圏での学者や医者もやはり「賢者」と呼ばれた。なお、アラビア語でハーキムとなると知事を意味する。

リングワ・フランカ

リングワ・フランカもしくはリンガ・フランカ(伊: Lingua franca)は、「フランク語」、「フランク王国の言葉」を意味するイタリア語に由来し、それから転じて、共通の母語を持たない集団内において意思疎通に使われている言語のことを指すようになった。現在では、「共通語」や「通商語」の意味で使われることが多い。

七十人訳聖書

七十人訳聖書(しちじゅうにんやくせいしょ、羅:Septuaginta, 「70」の意。LXXと略す)は、現存する最古の旧約聖書の 翻訳の一つである。キリスト教ではほぼ旧約聖書と同義(厳密には宗派で定義が異なる。本項の#構成とテキストを参照)、ユダヤ教では外典とされる。

旧約聖書

旧約聖書(きゅうやくせいしょ)は、ユダヤ教およびキリスト教の正典である。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」(タナハ)である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書と詩篇に相当するもので現在読まれているものとは異なる。それらはそれぞれ、アラビア語で「タウラー」「ザブール」と呼ばれる)が啓典とされている。

語族の一覧

語族の一覧(ごぞくのいちらん)は、世界の語族の一覧である。

他言語版

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